土曜日の午前中は普通自宅1階の掃除をします。
今日に限ってiPodとドッキングして使うラジカセを買ったので、試しにと音楽をかけながら掃除をしました。
で、聴いていた音楽は「ゴダイゴ ベストセレクション」。
そしてその一番最初にあったのが「ガンダーラ」。
若い方は知らないかもしれませんが、私の世代で知らない人はいないでしょう。
夏目雅子、堺正章、西田敏行、岸部シローが出演するという、今考えると(当時でもそうだったのかもしれませんが)超破格なメンバーで作られた「西遊記」。
それのエンディングがこの「ガンダーラ」でした。
当時はドラマの方がおもしろく、エンディングは何となくよかったな・・・という程度でしたが、今は禅宗仏教に深く帰依している身であり、社会人で家族がいます。この「ガンダーラ」の歌詞がぐっと近くなった気がしました。
せっかくなので、日本語の部分だけ紹介したいと思います。
そこに行けば
どんな夢も かなうというよ
誰もがみな行きたがるが
遥かな世界
その国の何は ガンダーラ
何処かにある ユートピア
どうしたら行けるのだろう
教えて欲しい
生きることの 苦しみさえ 消えるというよ
旅立った人はいるが
あまりにも遠い
自由なそのガンダーラ
素晴らしいユートピア
心の中に生きる 幻なのか
ある程度人生を重ねた人なら、苦しみを消し去ってくれる救いを求めることがあったに違いありません。
武芸で己を重装甲の鎧のように武装した精神力を養ってきたと思っていた自分も、結局救いを求めました。
私の場合は運がよいのか、日本でもなかなか得難い仏門の師を得ることができました。
武芸でもそうですが、師を得ることについてだけはいつもかなり恵まれています。
武芸をやっていらっしゃる方で、私のこの言葉を嗤われる方は嗤ってくやってください。
結局私は武芸だけでは強くなれませんでした。素直に認めます。
玄奘三蔵は往復16年を費やしてインドを往復し、膨大な量の教典を持ち帰りました。
そして帰国するやいなや、(帰国した翌月から)翻訳作業に取りかかり、亡くなる直前まで19年間を翻訳に費やしてきました。
凡俗の私からすると高すぎる峰にため息が出るばかりです。
ちなみに帰国後、遣唐使の一員として唐に来ていた日本法相宗の祖といわれる道昭も玄奘三蔵と寝食を共にして教えを受けたとのこと。
玄奘三蔵は日本について詳しかったのかもしれません。
話し変わって1943年大東亜戦争中のこと。
南京市の中華門外にある雨花台で、旧日本軍が長らく所在不明だった玄奘の墓を発見したそうです。
いろいろな応酬があった後に分骨と言うことになりました。
略奪ではなく、話し合いで分骨するという結果なったのは、やはり将兵の中に真摯な仏教徒がいたからではないでしょうか。
分骨された遺骨ははじめ東京のお寺に奉安されていましたが、すぐに空襲が始まったために郊外にあった、玄奘三蔵がいた寺の名前と同じ慈恩寺に白羽の矢が立ち、骨は疎開され、戦後、正当な話し合いによって分骨されたものの、あらぬ疑いをかけられないようにするために毛沢東に直接改めて本件を確認したところ、毛沢東は両国の友好の印として分骨を快諾したそうです。
話しが長くなりましたが、ガンダーラを聴いていたらこの玄奘三蔵の墓所参りにまた、行きたくなりました。
後は続きで。
平成二十四年神無月六日
不動庵 碧洲齋