不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

師の理想像について

私の道場、不動庵道場は息子が生まれた年に設立しました。

その時、道場を開ける資格を頂いてから8年ほどが過ぎていました。

頂いた時は20代の小僧如きが何を教えるや、でしたが、その後は海外に赴任したり結婚したりと、人生では色々な転機がありました。

師からも子供が生まれたのを機に教えてみてはどうかというアドバイスもありました。

一生、平門下生でありたいと思う反面、教えることは確かに自身の精進に役立ちます。

余計な責任は負いたくありませんが、それは家庭や子を成すことと同じ事。

責任なくして進歩無し、でしょうか。

道場を開設した当初は自分の名前を冠した、ありふれたものでしたが、その6年後に現在の不動庵と改号しました。

今まであまり書いたことはありませんでしたが、私なりに武芸の師の理想像があります。

言うまでもなく自分の師や宗家、あるいは今まで出会ってきた他流の武友や先生方に重なることは言うまでもありませんが、不動庵と号するようになってからは、師となるための一定の指向性が固まってきた気がします。

私は高校時代、中国諸子百家を読むことに熱中しました。中でも兵家、法家、道家などは可能な限り本を漁っては読みました。

一時期、孫子だけでも20冊はあったでしょうか。

当時一番毛嫌っていたのは「儒家」。野心溢れる少年には少々、窮屈な気がしました。

論語孟子に書かれていた事などは反吐が出そうでした(笑)。まあ、荀子などは多少、得心できるものもありましたが。

師や道場の先輩などからは「大人になってくると、論語のよさも分かってくるよ」と判を押したようなアドバイスを頂きましたが、言うまでもなく、当時の私は「こんなものをありがたがるようになったらオレの人生は終わりだよ。」などと、不届きにも思っていました。

とはいえやはり、というか、さすがという文句もなきにしもあらず。

論語の中で、師について「これは」と思ったところがあります。

それは論語 子罕篇の一節。原文と書き下し文、現代文を掲載します。

顔淵喟然歎曰、仰之彌高、鑽之彌堅、瞻之在前、忽焉在後、夫子循循善誘人、博我以文、約我以禮、欲罷不能、既竭吾才、如有所立卓爾、雖欲從之、末由也已、

顔淵、喟然として歎じて曰く、之を仰げばいよいよ高く、之を鑽ればいよいよ堅し。之を瞻れば前にあり、忽焉として後えにあり。夫子、循循然として善く人を誘びく。我を博むるに文を以てし、我を約するに礼を以てす。罷めんと欲して能わず。既に我が才を竭す。立つ所あって卓爾たるが如し。之に従わんと欲すと雖ども、由末きのみ。

顔淵がああと感歎して言った、「仰げば仰ぐほどいよいよ高く、切り込めば切り込むほどいよいよ堅い。前方にいたかと思うと、不意に又、後ろにいる。先生は、順序よく巧みに人を導かれ、書物で私の見識を広め、礼で私の人格を引き締めて下さる。さりとてあまりの理想の高さ故に諦めようと思ってもやめられない。もはや私の才能を出し尽くしてはいるが、まるで足場があって高々と立たれているかのようで、従って行きたいと思っても手立てがないのだ。」

現代文は私なりにアレンジしています。

これを読んだ時、今の師に当てはめたことは言うまでもありませんが、先生と呼ばれるからにはこんな風になりたいなと、漠然と思っていました。以後、時々思い返してみては顔回(淵)みたいに密かにため息をついていました。

この師を評した文句はなかなかだと私は思っています。孔子というと、礼や楽を定めた、ちょっとお堅い聖人と思われがちですが、論語をよく読むと決してそんなことはなく、分からないことは素直に聞いたり、人間らしく不平不満を述べていたり、弟子達のふがいなさを嘆いたりしています。持論にしても考え方にしても多少のブレがある辺りがあるいは論語の魅力なのかも知れません。本人も1日に1回は考えを改めると言っているのですから、常に進歩を忘れない人だったのでしょう。比較して良いのかどうか分かりませんが、イエスキリストよりは人間らしいと思います。

道場の宣伝をする際にも、少し論語から影響を受けた部分があります。

こちらも原文と書き下し文、現代文を掲載します。

子曰、不患人之不己知、患己不知人也、

子の曰わく、人の己れを知らざることを患えず、人を知らざることを患う。

先生がいわれた「人が自分を認めないことを気にせず、自分が他人を理解していないことを気にすべきだ。」

道場を開く際にはガンガン広告を出して知らしめるよりも、世の中にあって武芸はどのように世の中に役立てられるか、それを熟慮せよ、という考えです。これは言うまでもなく、日頃から師が重ねて強調していることでもあります。

30代半ばまではかなり良く本を読みました。

しかし父の死後、思うところあって大半を処分しました。

知識を抛擲したのではなく、一度リセットしてみたいという衝動に駆られたためです。

禅的に行為行動側から見た知識、智慧を得てみたいという気になりました。

ここ最近はまさにそんな気運が高まっている気がします。

師になる、というと変に感じますが、師になってしまった人はやはりそれなりに知らねばならないことは多いはずですが、私がしようとしているアプローチは体験したことを知識にする、体系化する方向です。たくさんの知識からはある意味混乱だけが目立ちます。私の能力不足もあるのでしょうが、この方向に定まるまではそんな感じでした。体験があってこその知識、その逆よりは若干正しいと思っているのですが、これもまた、論語にちゃんと書かれています。

子曰、弟子入則孝、出則弟、謹而信、汎愛衆而親仁、行有餘力、則以學文、

子の曰わく、弟子、入りては則ち孝、出でては則ち弟、謹みて信あり、汎く衆を愛して仁に親しみ、行いて余力あれば則ち以て文を学ぶ。

先生がいわれた、「若者よ。家庭では孝行、外では悌順、慎んで誠実にしたうえ、誰に対しても広く愛情を以て接し、仁者と親交を持ちなさい。そしてまだ余裕がある時は、書物を読みなさい」

これも現代文は私のセンスで訳しています。孔子はなかなか良いことをよい順番で言っています。自分自身の姿勢、対人関係、それらの行為を軸として書籍に親しめと言っています。この時代ですから書籍など、よほどの知識人でない限りは手にできませんが、書籍は希少だからありがたく読みなさいとは書かれていません。やはり孔子も経験あっての知識を是としているように思います。こういうところが孔子が教育者として優れていると言われているのでしょう。

ともあれ、人様に何かを教えるというのは教える何かがある訳ではなく、我が身を戒め精進させるところにあるものだと、日々思っています。

平成二十四年神無月三日

不動庵 碧洲齋