不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

絵で見る子供の心

自宅の居間に息子の描いたクレヨン画があります。

2年生の終わりか3年生の初めに時に描いたのですが、家族で気に入っているために額に入れて飾っています。

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絵の中には友達とおぼしき人物が5人、魚や昆虫、鳥や花、木々に緑、遠くには飛行機があります。

みんな笑っていて、ていねいにも左端の飛んでいる昆虫も笑っています。

私の師も良く言いますが、笑わない人はどんなに優秀でもあまり信用が置けない、笑わない人は心のバランスに異常があり、壊れやすいガラスのような優秀さしかない。

私事ですが、基本的になるべく笑みを浮かべるように努力してから年相応の重みが出てき始めたような気がします。

そういえば「貞観政要」にも太宗が穏やかな表情をしなかったばかりに臣下が意見しにくかったという反省を書いています。

そのくらい、笑みを浮かべられる人というのは心が落ち着いていると言うことだと思います。

実はここに描かれている息子は中央の大きな人物ではありません。左端の赤い服を着た人物です。中央の大きな人物は息子とよく遊んでいる友人なのだそうです。その友人は別にジャイアンのような番長格だとか乱暴者ではなく、どちらかというと息子の方がリードしている関係です。ま、体格は友人の方がやや大きいのですが。

私は幼児教育の専門家ではありませんが、小さい子供は普通自分を中心に親や友人らを描くと聞いています。確かに子供の世界観はそのように構築されてきているはずです。

世界最強の国というのは軍事力や経済力ではなく、教育力だと結構真剣に信じています。民度と言い換えてもいいですし、道徳心でも構いません。つまりミリタリーでもエコノミーでもなく、ハート、これありきだと本気で信じています。ミリタリーを基にしたスパルタは今や崩壊寸前のギリシャの南端に位置するド田舎に過ぎず、永遠の都市ローマも経済力などでは落ち目の日本よりももっと落ち目。ハートありきの諸々だと思っているのです。

道徳心の凋落に比べたら、戦争の一度や二度の敗北、経済破綻の10や20は全く大したことありません。そんなものは時の運、運が嫌いな人は諸行無常でもいいでしょう。ずっと勝ち続けている国家、ずっと栄え続けている国家なんてないのです。逆に石器時代から日本人でした、という民族の方が世界ではほとんどない。日本が中韓ですら認めざるを得ない精神を保持しているのはまさにそこだと思っています。

その日本人はおとなしすぎだとか自己を主張しなさ過ぎとか自ら卑下してますが、私はこれあるから日本人だと信じています。息子の絵では自分は中央ではなく、大切だと思っている友人を中心に据えられています。こういう心の在り方が文字通りの「和」ではないかと思います。世界のどこであれ「和」を否定したり嫌う人が正常な神経でないことは、たとえ日本が嫌いな国の国民であっても認めるはずです。

好きなものだけ、興味のあるモノだけが描かれた絵も寒いものがあります。私も子供の時は戦艦大和とか零戦ばかり描いていたので、息子の感性をみるに自ら恥じるものがあります。友人をはじめ芝生から昆虫、動物はもちろん、自然の情景までがくまなく描かれ、それでいて興味のあるメカまで描き入れる辺り、彼の精神性の在り方がよく分かります。

実はこの絵が飾られた時、息子は嬉しそうに言ったのを覚えています。

「この虫も仏様、蝶も仏様、花も木も仏様なんだよ。本当はみんな仏様なんだよね。」

分かるはずもないと思いつつ、いつも言い聞かせていたことが、子供には心で理解しているとその時になって分かりました。

こういう絵を描く子供がたくさんできて、将来の日本を担ってくれたら、日本は一喜一憂させられるような経済でもなく、破滅しかない軍事力でない、別の何かを以て日本をよい方向に導いてくれると思うのです。

相当親ばかな事を書き綴ってしまいましたが、子供たちの素晴らしい可能性を可能な限り伸ばすのは親・非親に関係なく、成人すべての最重要任務ではないかと思っています。

平成二十四年水無月三十日

不動庵 碧洲齋