不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

尾瀬ヶ原 神のタイミング 2

元々私は朝早いので(4:50起床)、翌日も5時前に起床。もちろんアラームのような無粋な機械なんて使ってませんよ。 さすがにまだ曇天で時折ポツポツ。身体の調子を伺うと、脚の付け根やや外側の筋肉が少し筋肉痛になっている以外、どこにも異常がなく、ほっとしました。 ここの筋肉は甲冑などを長時間装着していても時折痛くなりますね。今回も10数キロの荷物を担いでました。普通ではなかなか鍛えられないのでしょう。 朝食は6時から。普通の家庭ではどうか分かりませんが、我が家では6時半過ぎには朝食なので、体力を使った今回は起きた瞬間から腹が減っていました。 朝食もごく普通のもの。量だけはたくさん頂きました。
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山小屋正面の景色。 7時40分に出立。天気はほとんど曇りで、ごくわずか、時々小雨。帰路は少し北回りのコース。往路はほとんど平原の中を突っ切ってきましたが、今復路は途中まで湿原の北側を迂回するコース。途中から往路とぶつかります。 西側コースはちょっとした林を抜けたりするのですが、北側は何と新潟県。つまり尾瀬群馬県から入って福島県の山小屋に泊まり、新潟県を通って群馬に戻るという、3県も同時に堪能できるコースなのです。息子も初めての福島県新潟県だったので、大いにはしゃぎました。福島県に越境したときは、私に被災者達のことを心配する言葉を発していました。そうだ、そういう思いやりをいつも持ってくれ。
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息子と歩く 北側コースはなんと東京電力が色々出資していて、その辺りにある山小屋は「東電小屋」道も確か東電ルートとか。木道の板きれ1枚1枚には取付けた年が焼き印されていますが、東電が設置したモノには東京電力のマークも入っています。なんと平成23年度のものもありました。地震の後でも設置をしたんですね。 北側ルートは池が多いのですが、ほとんど波風が立たないので、景色が完全に逆に映っています。ちなみに二組程すれ違った以外は誰も来ませんでした。合流地点近くでも2.3組とすれ違っただけでした。なので、ほとんど無人状態の湿原を家族3人で歩いた訳です。多分尾瀬ヶ原をほとんど人がいない状態で歩けるのは年に何度もないことではないかと思います。
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ちょっと怖かったのが熊。あちこちに熊撮影用の無人センサーカメラが設置してありました。実際良く出るそうです。あちこちに熊よけのベルもありました。残念ながら紅葉には早すぎましたが、それでも一部の葉は真っ赤になっており、非常に堪能できました。
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往路に通った合流地点辺りに来ると、にわかに人が増えてきました。それでも1日は平日で台風明けだったこともあり、人が増えたという程度で、混雑とは程通り状況。爽快さを損ねるモノではありませんでした。(適度に人がいないと、家族写真を頼める人がいないので)湿原は草が生えているところと、池になっているところ、池の中に丸い島になっているところなど、とても表情があります。これが魅力なのでしょう。咲いていた花は1.2種程度だけでしたが、それでも秋に移ろいゆく葉もみじという草がまだら状に枯れた感じもわびさびがあって堪能できました。 ビジターセンターがある木の鼻近くになると雲は多いものの晴れ間が出始めてきて、西側正面にそびえる至仏山がほとんど見えてきました。山頂だけちょっと雲に隠れていましたが。
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尾瀬ヶ原東端にある燧岳(ひうちがだけ)死火山です。 木の鼻で山小屋で頂いた弁当を食べました。やや大きめのおにぎり2個とおいなりさん1個、魚肉ウィンナー1個、たくあん。意外に量が多かった。トイレや少し休んでから出立。今度は上り。最初は緩やかですが、ラスト20分は結構な斜面。息子は歯を食いしばって登っていきました。驚いたことは息子の歩くスピードが速くなったこと。小学校3年生と思っていましたが、歩くのが速いのなんのって。時々早いので焦りました。結構体力がついてきているんですね。嬉しいのやら悲しいのやら。それでも息子と色々話しながら歩けたのは楽しい時間でした。バスの中では息子は妻と一緒だったので。 至仏山の名前は二人で色々感銘を受けていました。 「仏に至る山」名前の由来は元々渋沢と呼ばれていたそうですが、明治時代に陸軍測量部の役人が測量に来た折、現地人に「あれは渋沢(しぶっつあ)です」と答えたところから、良く聞き取れずに、「至仏山」と書き込んでしまったのが始まりとか。書いた本人が軍人で、書いた山が「”至仏”山」というのもちょっと笑えます。 息子は例によって、「仏に至るって言ってもさあ、結局みんな仏じゃん」などとうそぶいていましたが、まさにその通りです。息子には花も魚も山も雲も仏の一つの在り方だという認識があります。そういう認識を持ち続けていれば人の道を外れたり、人への思いやりが絶えたりすることはないと考えています。私が9歳のの頃と違ってかなり勉強はできるようですが、できたら息子には人間性で豊かになり、仏の智慧を以て生活してもらいたいところです。学問はそれらを支えるたくさんの柱の、ほんの一つに過ぎません。 鳩待峠に着くとさすがに達成感がありました。息子も到着すると疲れも吹っ飛んで大はしゃぎ。とりあえず少し休んで土産物を買い、帰りのバスを待ちました。 ちなみに尾瀬では携帯が全くつながりません。意識的にそうさせているのでしょうか。とてもよいことだと思います。鳩待峠の駐車場の一角には携帯のアンテナ塔が立っているのですぐ繋がります。1日半ぶりに携帯を起動させ、まずはmixiに携帯で撮影した山小屋からの景色をアップしました。 その後、マイクロバスで山を下り、30分程走ったところにある、大きめのバス停留所まで。そこで高速バスに乗りましたが、案の定乗客が少なく、帰路は2座席を独りで占有できました。おかげさまでゆっくり休めました。 もっとも尾瀬から高速に乗るまでは景色を眺めていたのですが、尾瀬のある片品村の風習なのでしょうか、どの家にも大抵、小さな祠があって、何かを祭ってありました。一つは水神様のような感じでした。また、多くの家では花が植えられており、バスから堪能できました。神仏を祀り花を咲かせる。こういう村は昔はもっと多かったんでしょうね。この二つがあるだけでも人の心は和らぐのになぁ・・・と思った次第です。目に付く村人達も皆、人の良さそうな人ばかりでした。 高速に入る前に大きな土産物店。バームクーヘンの切れ端を詰めて安く売っていたので買いました。 関越自動車道沼田インターから高速。そういえば友人の1人は来月ここで時代祭に出るとか言っていたな・・・。ひなびた感じですが、好感が持てます。そうそう、ここはリンゴも特産のようで、道中に立派なリンゴの木を見かけました。 バスでは西側を見られたので、上州の岩の多い山々を見ることができました。まずは榛名山、次は遠くに妙義山荒船山など。不動寺近くの山も夕日に映えていました。息子は写真撮影にチャレンジしていましたが、ちょっと難しかったようです。 無事に池袋駅に到着、帰路につきました。よく考えたら平日でした。大きな荷物を担いでの電車は大変でした。それにしてもこの通勤ラッシュ。頑張っている人には申し訳ありませんが、今の私にはもう耐えられませんね。あれは間違いなく人間の精力を奪う魔物です。薄給に甘んじてよいのかというと辛いものがありますが、こういうものを見ていると人間の幸せって一体何だと思ってしまいます。 何気なく宮沢賢治の「雨にも負けず」を思い出してしまいました。 今度は多少混んでいても違うシーズンに行ってみたいものです。 平成二十四年神無月二日 不動庵 碧洲齋