不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

及ばざるは過ぎたるより勝れり

コンビニ3軒

レストラン

焼き肉

ラーメン

フードコート(和・洋・中・パン・スイーツ各1軒)

そば2軒

イタリアレストラン

中華料理

回転寿司

寿司

ちゃんぽん

ボーリング

ホームセンター

大型量販店

我が家は埼玉県草加市の東京都の境にほど近いところにあるのですが、駅から自転車でも10分かかり、繁華街でもなし。

そんなに魅力的な場所ではないのですが、500メートル圏内に上記のような店があります。

徒歩でも行けますし、自転車でもちょろっと行ける程度。

逆に車だと少々不便をきたすものもあります。

500メートルにわずかに外れるのがドラッグストアーですが、わずかに500メートルから外れたところに4軒、スーパーも同じように3軒。

世界はまだまだ飢えに苦しむ人が十ウン億人います。

便利な生活とは言わず、衛生的なトイレひとつまともに持てない家もあります。

そんな地球にあって、こんな過度に外食店や便利な店に囲まれてよいのか、私は正直恐れを持ちます。

便利すぎると人は間違いなくバカになります。

バカという言葉が端的なら人間力が低下する、とでも言うのでしょうか。

言葉が悪いですが、ある意味、社会の家畜のような精神構造になると考えています。

過度に便利なことに警戒心を持つ、恐れを抱く、不審になる。こういう日本的なものの考え方を忘れると、欧米人達と変わらなくなってくるような、そんな気がします。

昨年米国に出張した際、米国人の大半がアイフォンを手に、アイフォンの命令通り、アイフォンの指示するままに動かされている米国人を不気味に感じました。

本当に何かたちの悪いSF映画でも観ている気分でした。

日本人もそうなりつつあります。

ある程度不便を忍び、周囲とそれを分かち合う、そのくらいが人間として幸せにやっていける限界点ではなかろうかと、特に禅をするようになってから思うのです。

かの徳川家康も、有名な遺訓を残しています。

人の一生は重荷を負ゐて遠き道を行くが如し 急ぐべからず 不自由を常と思へば不足なし

心に望おこらば困窮したる時を思ひ出すべし

堪忍は無事長久の基 怒りは敵と思へ

勝事ばかり知りて負くる事を知らざれば 害其身に至る

己を責めて人を責むるな 及ばざるは過ぎたるより勝れり

伊達政宗も似たような遺訓を残しています。

気長く心穏やかにして万に倹約を用ゐて金を備へるべし

倹約の仕方は不自由を忍ぶにありてこの世の客に来たと思へば何の苦もなし

朝夕の食事うまからずとも褒めて食うべし元来客の身なれば好嫌は申されまじ

今日の行き送りを子孫兄弟によく挨拶して御娑婆の暇を申すがよし

彼らはある意味、当時としてはかなり頂上に近い贅沢な暮らしができたはずですが、今の私たち、一般庶民ですら、彼らを軽く凌駕する贅沢な暮らしをしています。

私はこの事実を確認するとき、いつも恐れおののきます。

息子にはポータブルゲームを与えていません。

今だけかもしれませんが、息子も別段ほしがりません。

(実際、サンタクロースにお願いしないからです)

別の遊びを考えるのです。一人っ子なので私も協力せざるを得ませんが、小さいキカイの奴隷になるよりは数万倍もましです。

で、2.3週間前から家から100メートル足らずのところに高い櫓が設けられ、何かしら作業をしていました。

最初は何の工事か分かりかねましたが、もしや、まさかと思い、先ほど工事現場に行ってみると・・・

・・・日帰り温泉・・・

ウソだろ?歩いて5分のところに(場所は近いのですがたぶん入口は反対側だと思うので)温泉設備が工事中だとのこと。

来年から本格的工事を始めるとか。

今は掘削技術が飛躍的に向上してきたので、7割以上の確率で温泉を掘り当てられると聞いたことがあります。

草加市内にもすでに5.6軒ありますが、まさかうちのすぐそばにできるとは思いもよりませんでした。

少しうれしいとは思いますが、うんざり7割です。

数年前にボーリング場ができたときも同じでした。

そもそもうちはあまり外食をしません。家のメシが一番です。

(たとえ、妻が相当な手抜き料理だったとしても。あくまで、たとえば、です・笑)

嗚呼、日本人はどこに行くのだろう・・・と暗澹たる気持ちにならないでもない、ここ最近でした。

平成二十四年神無月十四日

不動庵 碧洲齋