今日は息子の誕生日でした。
早いもので、もう9歳になります。
まだまだ小さい子供と思っていましたが、学童では1、2年生に対しては上級生らしく振る舞い、家でもなかなか鋭い指摘をしたり、強く意見を主張したり。
我が家は夫婦とも勤務地が自転車でも20分も掛からないところなので、ほとんど毎日、一緒に朝食と夕食は家族で食べます(朝食は私と息子だけですが)。
風呂も息子と入ります。夕食前後にはなるべく会話をする時間を持っています。
武芸や坐禅、最近はロシア語の勉強をしていてもなおかつ息子と向き合う時間があることはありがたいことです。
通勤時間が短いことはこういうメリットをもたらします。こういうのをpricelessと言うのでしょうか。
息子と対するときは、可能な限り全身全霊で向き合います。面倒だとか疲れているとかやかましいとか、なるべく持たないようにします。
まあ、私も人間ですから、そうでないことも希にあり、そんなときに限ってここぞとばかりに手厳しく揶揄する手合いも散見されますが、それもまた修行でしょう(苦笑)。
子供だからと言って真剣に向き合わなければ子供は大人を信頼しなくなります。
ばかげた質問、分かる訳のない疑問でも、一緒に考えます。
もちろん、私自身がいつも疑問に思っていることも時には振ります。
何でもよい子ちゃん、誰でも仲良しちゃん、私の経験ではこういう人間はごく希に大人物である以外は、毒にも薬にもならない、ある意味つまらない人間になってしまうと思っています。
個人的には子供の頃から誰にでも人当たりがよいというのは大器にならないのではとさえ思ってしまいます。
20歳ぐらいまで、あっちこっちにカドがあるぐらいの方がいいと思っています。
カドを丸める努力こそ尊く、それが人間性を磨くと思っています。
また、世間体を気にしすぎる子供にも育てたくありません。
面子を気にしすぎると、決して嫌味や悪気があって言う訳ではありませんが、今の中国人の文化や韓国人の文化のようになってしまいます。
面子はあって結構ですが、うまく折り合いを付けられる柔軟な心を以て欲しいと思います。
完璧な外面を演じながら、その実が腐っていたらたまったものではありません。
私の知り合いにもすぐキレる、何かにつけてすぐに過剰攻撃衝動に駆られる人を見かけますが、自分とそれ以外の縄張りを強く意識しすぎ、自我が強すぎる気がします。
そういう人たちに恐れを感じるのは、自分の腕の外で人が死んでも全く気に留めないのに、自分の腕の中のものはゴミひとつでも動かされると狂気のようになるようなエゴの強さです。
上記と相反した書き方になってしまいますが、息子には誰にでも寛容で自他を分け隔てないような人間になって欲しいと思います。
忍耐力、これはよく言われますが重要かと思っています。
忍耐ができない、これはかなり致命的な欠陥だと思います。
何かの諺だったか名言に「忍耐は夢を実現させる唯一最大の武器である」というのがありますが、本当だと思います。
忍耐ができない人は周囲にもいます。私はそんな人たちに親身になる程には人格者ではないので、そういう人たちに対しては距離を置いて慈悲が持てるように努力するだけです。
息子にも可能な限り忍耐を持てる人間にはなって欲しいと思います。
最近思うのですが、学校でもITでも何でも、「自分が自分であることを証明しなくてはならない」場面が増えてきています。
また、情報量も飛躍的に増えてきたので、自分と他人を比較する情報も増えました。
競争は必要です。原始時代からそれはありました。
ただ原始時代と違うことは、現代ではかなりどうでもよいことを比較対象化し争いいがみ合っている点です。
競争せねばならぬ事を無くしてはなりませんが、有用化を維持させていくことは大人の仕事です。
無慈悲な子供同士の、大人をも巻き込んだ競争、本人以外に何の利益ももたらさない不毛な闘争を高いところで俯瞰でき、それが無用なものだと悟ることができる大人になって欲しいと思います。
私の場合は禅宗仏教や神道ですが、超越したものに対する畏怖の念も持たせたいと思っています。併せて先祖を敬う気持ちもです。
特に私の場合は両親は既になく、祖父母も割に早くからいませんでした。戦争で戦死した祖父もいます。
彼らが生きていた意義、死んだ意義、ありがたさを伝えていきたいと思います。
幸い、神仏を尊ぶ気持ちは私が9歳だったことに比べると比較にならないくらい備わっているようです。ありがたいことです。これはいつも心中にて「ありがとうございます」と呟いています。
親が神仏のように人格的にも経済的にも完璧な場合はそんなに帰依心などなくてもよいのかもしれませんが、不完全すぎる親だと思ったら、なるべく神仏に祈る後ろ姿を見せることはなかなか有効だと思っています。
私も毎朝、線香を立てて読経している姿を見せるようにしています。
難しい話しはこのくらいにして、取りあえず今息子は宇宙飛行士になりたいそうです。
不思議な気がします。私が子供の頃は宇宙飛行士という職業はアメリカ人やソビエト人のごく一部のエリートしかなれませんでしたが、今では何人もの日本人が宇宙に行っていますし、民間人が旅行として宇宙に行ける時期もほぼ到来しています。アニメやドラマでも宇宙飛行士を題材にした、かなりリアルなものがあります。
息子の夢はかなって欲しいと思うので、彼の夢にはなるべく援助したいところです。
私も死ぬまでに一度でいいので地球を外から見てみたい、ずっと昔から思っていました。
これは息子と二人の時によく話します。世の中嫌な話題に事欠きません。
しかし宇宙開発についても本当にワクワクさせられるような進歩が多くあります。
息子がそういうプラスの方に吸い寄せられ、その方面で社会に貢献できる人間になってくれたらと思います。
平成二十四年長月二十五日
不動庵 碧洲齋