不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

秋雨に在って坐る

昨日は月初めのため早朝坐禅会。

早朝坐禅会は毎月第1.2日曜日にある。

あいにくの曇天で時折小雨が降る中、作務衣に着替えて5時出立。

最近になって早朝の坐禅会が好きになってきた。

早朝坐禅会のいいところは起きたばかりで頭がフル活動していないために、行きたくない理由を考えるまもなく出かける準備を済ませられること。

また、夕刻の都内の坐禅会は実際に用事があっていけなくなることがたびたびある。

それに比べると早朝坐禅会はよい。

無意識にそのように行動しているのはやはり、奥深いところで縁があるのだろう。

今月から提唱が「無門関」になる。

1回で1則やるなら2年半ぐらいかかるだろう。

先月までは「臨済録」だった。

これは私が参加した頃から既に始まっていたので、5年以上もかかって終えられた。

無門関は東京の坐禅会でも1度周り、現在2回目。

違った角度から聞けると嬉しい。

道中、いつものところで缶コーヒーを買うが、雨が降ってきた。

曇天のために夏にしてはかなり暗い。

5時半到着。すでにSさんが来ていた。

いつもの通り座禅堂入って右から2番目に坐る。

いささか違和感を覚えたのは無門関の書籍が大きいこと。

信玄袋に入らないので手に持ったが、今度から下駄箱に置いておくのがよいだろう。

今回は多めに座布団が用意されていたが、そんなに多い参加者数ではなかった。

大抵、ちょっとテレビなどで話題になると増え、そうでないときは常連だけになる。

道場でもそうだが、一時だけ線が混じる人と、この道にカチッとはまる人がいる。

もっともそれが俯瞰できるのはずっと継続している人だけだ。

いつも娘さんと来るIさん、今日は下の娘さんも連れてきた。

多分息子よりも歳下ではないか?

小さい子供は意識そのものが仏に近いので、わざわざ坐禅をするまでもないと東京の老師がおっしゃっていたが、それでもこのような希有な体験をさせることはよいことだと思う。

されば今年中に息子も連れてこよう。

雨天時は非常に深く坐れる。

時折強く降ったり、止んだり。

老師がいらっしゃるまで30分、何とはなく眠気があるようにも思ったのだが、そうでもない。やはり雨のせいだと思う。

老師がやってきていつも通り2柱、約1時間坐る。雨の日は深く坐れるのがよいが、夏は蒸し暑くなることが多い。幸い昨日はそんなこともなくやや涼しかった。坐禅後に般若心経と白隠禅師和讃を読経し本堂に移動。

今日はZ氏がいなかったので、私が1番だった。しかし記帳用の筆ペンのインクがかすれていて、うまく字が書けなかった。

提唱は少し無門関の第1則を読み、後は本派建長寺とこの長徳寺の話し。

長徳寺は再来年で650年になる。なにか祝い事でもするのだろうか。

建長寺には行ったことがないが、いずれ天気がよいときに行ってみたいところだ。

茶礼では抹茶が点てられる。

点てる方は大抵二人で、一人は表千家の先生、一人は裏千家にて習っている剣道家

なので泡の立ち方が違う。

概ねいつも、泡がきめ細かい裏千家の方を老師に持っていくが、よほどのことがない限り、それも私の仕事。

音を立てないように運び、音を立てないように茶碗を置く。毎回これには恐ろしく気を遣う。

私ももう不惑を過ぎてまもなく3年になるが、それでも常連の中では下から2番目の若さだ。

故に自分から率先して老師に茶を運ぶ。

みんなにお茶と茶菓子を配り終えると、ようやく席に着き、茶菓子とお茶を頂く。大抵皆さんよりも遅いので、さっさと平らげる。後は先輩方の話を聞くか、希に少しだけ口を開く。先達が多いので迂闊にはしゃべれない。

8時を回ると解散になる。昨日は床の間に非常に真円に近い円相の掛け軸が掛かっていたので、カメラに納める。由緒あるお寺なので、時折高名な老師の墨跡なども観ることができる。

その後、いつもは禅友たちと朝食を兼ねてマックに行くが、昨日は用事があったためにすぐに自宅に戻った。

平成二十四年長月三日

不動庵 碧洲齋