不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

やっぱり寒いなぁ

先日、「2ちゃんねる」について、色々書き、反論も頂きましたが、やはり電網世界を俯瞰すると寒いことが多いように思います。

前田敦子さんがAKB48を卒業したというとあちこちで叩かれ、酒井法子さんが年末に舞台復帰すると言えばこれまた徹底的に打ちのめす。

まるでクラスの可愛い女の子が気になっている男の子達にイジワルされているかの如く(笑)。

日本人のメンタリティは青春学園モノかと思ってしまいます。

そんなに叩いて何が楽しいのか。知り合いの何人かにもサド侯爵と親しくなれそうな人がいますが、私はそういう人とは可能な限り距離を置きつつも慈悲を以て接するように努めています。

私も絶対に叩かないとは言いませんが、叩くのは主に政治家だけに心掛けています。だって彼らを叩いていい権利を私たちは持っているんですから。それとやはりどうしても道義的におかしかったり、冷酷、残忍な人には厳しく指弾せずにはいられません。

私が好きな聖書の話しがあります。ヨハネ福音書 第8章の最初に出てくる話です。

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聖書学者たちとパリサイ人が、姦淫の時に捕まった女を連れて来て、真ん中に立たせ、イエスに言った、「先生、この女は姦淫を犯している現場で捕まえられました。モーセは律法の中で、そのような女を石打ちにするよう、わたしたちに命じています。ところで、あなたは何と言われますか?」彼らがこう言ったのは、イエスを試すためであり、彼を訴える口実を得ようとしたのである。しかし、イエスは身をかがめて、指で地面に書いておられた。彼らがしつこく問い続けたので、イエスは立ち上がって彼らに言われた、「あなたがたのうちで罪のない者が、まず彼女に石を投げなさい」。そして再び、彼は身をかがめて、地面に書かれた。彼らはそれを聞くと、老人から始まって、一人また一人と去って行った。そしてイエス一人が残され、女はその真ん中に立っていた。イエスは立ち上がって、彼女に言われた、「女よ、彼らはどこにいるのか? だれもあなたを罪に定めなかったのか?」彼女は言った、「主よ、だれもいません」。イエスは言われた、「わたしもあなたを罪に定めない。行きなさい。今後はもう罪を犯してはいけない」。

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現実には誰も裁かないわけにはいきませんが、誰もがこのような意識を持っていれば、裁かれるべき人は絞られ、罵詈雑言をネット上で見る機会は減り、皆が快適にネットライフを送ることができると言うことです。

なるべく許してもらいたいならなるべく許してあげるのが人情であり論理的でもあります。

私はいつも、この話を思い浮かべてなるべく人を許せるようにしたいと願っています。

(願っているだけで実際は厳しいことが多いのですが・・・)

ましてやどうでもよいゴシップについて熱く議論することに何とも思わなくなったらそれこそ見えない麻薬のようなモノだと思います。

民主主義の世界では多くのことが人々の良心に委ねられていますが、最近は特にお寒い限りです。むろん、日本は世界に冠たる良心の国であることは自他共に認めるように間違いありません。そして多くの人は日本より低い民度の国よりもより高きを目指しているのも頼もしい限りです。しかし現状は明らかに劣化しつつあり、これはやはり年配者順に罪を負うべきところが大かと思います。

何をどう治していくのかは議論する余地がありますが、今少し寛容な心、温かい心を以てネット社会を利用していきたいところです。

平成二十四年長月二十一日

不動庵 碧洲齋