不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

床屋の隣の王子様

仏教に携わっている方はご存じだと思います。

いわゆるお釈迦様の十大弟子のことです。

十大弟子の下から3番目持律第一とされるウパーリさんはかつて床屋さんでした。

そしてその次に来るのが密行第一とされるラーフラ、お釈迦様の息子さんです。

一人の父親として、偉人の息子がどのように処してきたのか、無関心ではいられません。

私は偉人でも達人でも名人でもありませんが、それらの人が自分たちの子供にしてきた教育方法には強い関心があります。

ラーフラさん、生まれたときはもうお父さんは出家しておらず、物心が付いて少しずつ世の中を分かってきたときには悟りを開いたお父さんが戻ってきた、ということでした。ただ史実が分からない以上、諸説があり、お釈迦様が出家するときには既に7-8歳だったとかいう説もあります。

いつも思いにふける父を見ていたのでしょうか。私の息子もよく私が考え事をしているときに見ています。ラーフラさんもお父さんを見て、やはり生老病死について考えたのだと思います。そうでなければ本人も出家して、お釈迦様の息子であるというひいき目を排除して十大弟子になれる訳がありません。初めの頃は尊大だったが、後にタイトル通り、長ずるに従って黙々と修行に打ち込む立派な修行僧になったそうです。きっとお釈迦様も満足だったに違いありません。うらやましいです。羅云忍辱経というお経には彼の忍耐が書かれているそうです。今度探してみたいと思います。

論語にも孔子の息子に関する話しがあります。いわゆる庭訓という話しです。

昔はバカらしい話しの最たるものと感じていましたが、父親になって読み返すとやはり反論できない程に優れた話しであることが分かります。

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弟子の陳亢が孔子の息子の伯魚に、「あなたは我々とは違った特別な話しを先生から聞いていますか?」と問うた。

伯魚は、「いいえ、今迄にそういうことはありません。ただ父が一人で庭に立っていた時、私が小走りでその前を通り過ぎようとした際に呼び止められまして、『お前は詩を学んだか?』と問われましたので、『未だです』と答えた所、『詩を学ばなければ、人とまともな会話ができないぞ!』と言われました。それから私は詩を学ぶようになりました。又ある日父が一人で庭に立っていた時、小走りでその前を通り過ぎようとした際に呼び止められまして、『お前は礼を学んだか?』と問われましたので、『未だです』と答えた所、『礼を学ばなければ世間に通用しないぞ!』と言われました。それから礼を学ぶようになりました。あるとすればこの二つくらいのものでしょうか」と答えた。陳亢は退席すると喜んで、「私は一つのことを質問して三つの収穫を得ることができた。一は詩を学ぶことの意義、二は礼を学ぶことの意義、三は君子は自分の息子だからといって特別扱いはしないものだということを」と云った。

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勉強しろとかではなく、詩と礼を学べと言いました。要するに他人とのコミュニケーション、世間でのマナーを学べと言っています。お釈迦様も息子にああしろこうしろ、ではなく黙然と自身の修行をする様を以て示したのだと思います。これはよく考えたら私が今、息子に対してしていることそのままです。勉強は大事ですが、それ以上に重要な事があるというのが私の信念です。

お釈迦様にしろ孔子にしろ、重要な点があります。二人とも生涯学び続けてきたと言うこと。生涯修行に打ち込んでいたということです。ふんぞり返って偉そうなことを語っていた訳ではありません。そういう姿勢を彼らの息子は傍で見ています。ここは極めて重要だと思いました。私もライフワークとして武芸、禅、そして語学、余裕があればまた二胡なども嗜みたいと思っていますが、そういう姿勢を子供に見せ続けることはとても重要なのではないかと思います。

平成二十四年長月十九日

不動庵 碧洲齋