不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

床の間の文武両道

通常、我が家では端午の節句などに関係なく、甲冑が飾られています。

そしてその背後には教育勅語が掛け軸としてかかっています。

この教育勅語は父方の父、つまり私の祖父が日本橋に家を建てたときに当時ちょっと名の知れた書道家に書いてもらったそうです。

この方をネットで調べたら確かにそこそこ知られた方のようでした。

実家はかなりの資産家でしたが、今私の家に伝わっている遺産はこれだけのようです。(本家でもないですし)

長いことこの掛け軸に何が書かれているか全くさっぱりわかりませんでした。

和室の戸袋に桐箱にしまわれたまま、長いこと過ぎたのですが、息子が生まれて初節句の際に購入した甲冑とともに、両親が買ってくれた飾り用の鎧甲を出した際にふと気になり、改めて箱から出して、じっくりと読んでみるとおぼろげながらこれはなかなかの名文だと思い、「朕」とあることからこれは近代以降の歴代天皇のどなたかに違いないと悟り、調べた結果(というかだいたい分かってましたが)教育勅語でした。

祖父は私が生まれる前に他界しました。しかし商家として大成功を収め、実はかの東条英機氏とも親交があり、彼の揮毫も実家にはたくさんあったそうです。しかし進駐軍がやってきた折、危険だと思い全部燃やしてしまったとか。何とも残念な話。しかし子供の教育に厳しかったかというとそうでもなく、父の9人兄弟のうち、男5人みんな大学に行ったのに、父だけなぜか当時「保安隊」から「自衛隊」に名前が変わったばかりの軍隊に入隊するに当たり、何も言わなかったそうです。そして祖父は家を建てるに当たってこれの揮毫を掲げました。私は祖父は非常に優れた教育者でもあったと想像します。

そして息子の初節句にこれが出てきたというのも何かの縁、子供向けに意訳して時折息子に語り聞かせています。

毎回、読むたびに明治大帝の教育観、国際感覚、理念の秀逸さに感心しきりです。

此度、甲冑を故あって友人の出陣に貸し出し、教育勅語が床の間からよく見えます。

これこそ我が家の家宝であり家法です。

また学校でも再度取り上げてくれるようになるといいですね。

教育勅語 意訳

私(明治天皇)は、私達の祖先が、遠大な理想のもとに、道義国家の実現をめざして、日本の国をおはじめになったものと信じます。そして、国民は忠孝両全の道を全うして、全国民が心を合わせて努力した結果、今日に至るまで、見事な成果をあげて参りましたことは、もとより日本のすぐれた国柄の賜物といわねばなりませんが、私は教育の根本もまた、道義立国の達成にあると信じます。

 国民の皆さんは、子は親に孝養を尽くし、兄弟・姉妹は互いに力を合わせて助け合い、夫婦は仲睦まじく解け合い、友人は胸襟を開いて信じ合い、そして自分の言動を慎み、全ての人々に愛の手を差し伸べ、学問を怠らず、職業に専念し、知識を養い、人格を磨き、さらに進んで、社会公共のために貢献し、また、法律や,秩序を守ることは勿論のこと、非常事態の発生の場合は、真心を捧げて、国の平和と安全に奉仕しなければなりません。そして、これらのことは、善良な国民としての当然の努めであるばかりでなく、また、私達の祖先が、今日まで身をもって示し残された伝統的美風を、さらにいっそう明らかにすることでもあります。

 このような国民の歩むべき道は、(皇室の)祖先の教訓として、私達子孫国民の守らなければならないところであると共に、この教えは、昔も今も変わらぬ正しい道であり、また日本ばかりでなく、外国で行っても、間違いのない道でありますから、私もまた国民の皆さんと共に、祖父の教えを胸に抱いて、立派な日本人となるように、心から念願するものであります。

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平成二十四年葉月四日

不動庵 碧洲齋