今日、帰宅すると禅の師より文が届きました。
中身はある外国人の友人宛のものなのですが、初めて師の揮毫を見ました。
その昔、禅を本格的に始めたころに師に揮毫を頼んだところ断られたことがあります。
はっきりと理由はいわなかったものの、たぶん書いたらそれをありがたがり、修行の本筋から外れてしまうことを危惧していただいたに間違いありません。こういう意味において偶像崇拝は戒めるべきです。
今回預かった揮毫を見てはっとしました。
感覚的になぜ修行者が師の揮毫を求めていけないのか、少し盲が啓けた思いです。
ああ、そういうことだったのか。
分かっただけでも少し進歩があったのか。
カタツムリのような進歩の遅さだな。
進まないよりは良しとしましょう。
平成二十四年文月二十七日
不動庵 碧洲齋