不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

国の捉え方について

先週の土曜日は息子の運動会のために稽古を休んで息子が通う小学校に行きました。

最もその小学校は私が卒業した小学校でもありますが。

今年は創立140周年ということで多少特別ではありました。

開会式、国旗掲揚がありました。

海外では国旗掲揚の際は生徒のみならず観客であっても脱帽の上黙礼をしますが、日本ではそういうことはなさそうです。

私の周囲のギャラリーで脱帽したのはすぐ隣の男性と少し離れたところにいた数人程度。それ以外はおしゃべりも止めない感じでした。

小学生達は国旗に注目し脱帽もしていましたが、大人が模範を示さないのはいかがなものでしょうか。

人工国家、例えば米国や豪州などは人(主に政治家)が人為的に愛国心を想起させ、実践させないと国を維持できません。これらの国の国民はせいぜい4.5世代前ぐらいにやってきた人が大半です。ご存じの方はご存じだと思いますが、景気が悪いときや戦争しているときに限らず、日常的に「God bless USA」とか「USA as No.1」とか、和訳したらかなりお馬鹿なプロパガンダがあちこちに見ることが出来ます。

一方、日本人は多分ほとんどが石器時代から日本に住んでいた人が大半です。

歴史では昭和になると軍国主義台頭なんて言ってますが、実際には昭和10年もかなりすぎた頃ぐらいから終戦までの10年弱程度がそんなプロパガンダがあったと言われています。ちなみに昭和12年の中学生の教科書にはほとんど戦争のことなど記載がありませんでした。まあ、その程度です。

豪州に勤務していたとき、ニュージーランド人の同僚がいました。

しかし豪州で伴侶を見つけ、国籍を変えたそうです。

この二国間の場合に限ってはかなり簡単に国籍を変えることができます。

日本の場合、海外にこぞって移住しようとしたり、国籍を変えようという人はあまりいないでしょうし、たとえ国籍を変えたところで、行った先では間違いなく「日本人」として見られます。(多分敬意を以て)

口先の愛国心ではなく、日本以外のどこにも行きたくない、働きたくないという人の割合が日本では極めて少ないのはなかなか興味深いところです。

口では政治家が無能だとか(まあこれは合ってますが)、天皇は嫌いだとか、気候がじめじめして嫌だとか、活気がないとか色々ありますが、本気で海外に行く人の数はマズ少ないと言って良いでしょう。

これを以て愛国心というのかどうか分かりませんが、少なくともどこぞの国のように機会を穿って海外にて市民権や永住権を握ろうと画策する人がかなり少ないとは言えます。

自然発生的な愛国心とか祖国愛、郷土愛というものは、人工国家においてはのどから手が出るほど欲しいものではありますが、そういうものは何千年という年月が醸成してできたものだと思います。従って、大統領以下、各政治家や軍人の皆様達が声をからして叫ばねばならないのが、新しい国の辛いところではあります。

とはいえ、やはり国家国旗が挙がるときぐらいは、神妙にした方が世界的には敬意を持たれること必定です。

そんなことを思ったのでした。

平成二十四年水無月七日

不動庵 碧洲齋