昨日、過分にも飛間陸奥守大陸殿より和菓子を送っていただきました。
頂いたのは舟和の芋羊羹とあんこ玉のセット。
どこで知ったのでしょうか、私は和菓子には目がありません。
本当にありがとうございました。
早速、妻に抹茶を点ててもらい、家族でありがたく頂きました。
今までブログに書いたことはありませんでしたが、中でも舟和の芋羊羹とあんこ玉は特別な思い入れがあります。
私の母は台東区の出身です。故に祖母が遊びに来てくれた時はよくこの和菓子を持って来てくれました。
祖母は私が5歳の時に他界してしまいましたが、今でも尊敬している人のひとりです。
今ではあんこ玉は一口で食べられますが、5歳の時は一口では食べきれず、惜しみつつ、光沢のあるあんこ玉を何度かかじって食べた記憶があります。それを比べると、ああ大人になったんだなと漠然と感じたりします。
祖母の記憶はおぼろげになってきましたが、このあんこ玉を見るたびに、何となく懐かしい気持ちになります。
子供の頃はそんなに芋羊羹は好きでなかった気がします。
しかし母は好きでした。
また、母はよく私たち子供に隠れて焼き芋を食べていました。
私たちがねだると、結構真剣な顔で「こんなもの食べるんじゃありません!」と怒られたものでした。
母は中学生になるぐらいまでは非常に貧しく、戦後になってもなかなか白米が食べられず、よくサツマイモやジャガイモを食べさせられた苦い思い出があります。
豊かになった今、やっと振り返り、思い出と共に食べていたのでしょうが、自分の子供達がそういうものを食べることには耐えられなかったのでしょう。
一緒にサツマイモを食べるようになったのは中学生になってからだったような気がします。
昨日も食べ物について書きましたが、食べ物は少し足りないぐらいの方が体にも心にも良さそうです。
聖書でもイエス様の指示の元、弟子達が僅かなパンや魚を何千人にも分け合ったという逸話は、きっと心の豊かさを分け合ったことを指しているのだと思います。
聞くところによると、世界中で廃棄されている食料を分け与えれば、まだまだ十分に世界中の人口を養っていけるだけの食料はあるそうです。
自分が自分がというガリガリの自我地獄がそのまま、今の有り様ではないでしょうか。
天台宗ハワイ別院 荒了寛住職もおっしゃっていました。
「がたがたは我他我他。互いに心が合わないとがたがたになる。」
今一度、我が身を振り返り、どこか我他我他になっていないかどうか、注意したいと思います。
平成二十四年水無月二十日
不動庵 碧洲齋