栄えある第一回目!
埼玉県の南、東京に接している市の一つが所沢市です。
航空自衛隊の基地もあり航空史的にも有名なのですが、そこには歴史に埋もれた城があります。
その名も「滝之城」。戦国時代に築かれ、戦国時代が終わると共に滅んだ城です。
現在は城山神社として関越自動車道とJR武蔵野線を眼下に見下ろせる武蔵丘陵の一番端にその城跡を僅かに留めています。
そこで地元を盛り上げるために初めて時代祭を企画しようと話しが上がったのが2月の終わり。3月に初めて打ち合わせのために行きましたが、本当に小さな城跡です。忍城とはいわず、ちょっとした古墳程度の大きさでしょうか。
ただし壮観なのは南側。この滝之城は武蔵丘陵地の一番南端、そして東端に面して作られているので、南側は切り立っており、関東平野が一望できます。
関越自動車道やJR武蔵野線を見下ろせます。そしてまだ自然が多く残されており、非常に素晴らしい環境です。
城跡は何度か発掘もされており、建築物跡は全く残っていないものの、堀などはしっかりと残っており、本丸は神社になっているほか、二の丸、三の丸址も残っており、木々は社杜を成していて、なかなか良い環境です。神社は城山神社と呼ばれ、結構立派な作りです。
南側の崖は7世紀頃の墓も見つかっており、やはり昔から何かしら感じるものがこの地にはあったのでしょう。
今回、ミクトモ軍兵衛さんの呼びかけに応じましたが、人徳のある方というのはこんな方を指すのでしょうか、3月の打ち合わせ時にお会いしたときに感じたのは「ああ、こんな人の元には結構集まるものだな」というのが素直な感想です。西郷隆盛みたいな?私もあのような人格になるべく、日々努めて参りたいと思います。
今回は遠方から来る方のために、前日に城山神社の社務所に泊まれることになりました。
神社に泊まるなんてなかなかない機会なのでぜひ、と思い前泊&リハ参加しました。
今回、同門九里流杜陽(クリル・モリアキ)殿とそのお連れを含めた3名。
むろん二人とも初参加です。
昼食を取り、13時過ぎに会場入り。すぐに社務所に移動して挨拶しました。
社務所は昭和の香りのする懐かしい感じです。また、南東側の展望が素晴らしい。空堀を挟んで本丸の神社が見えます。もちろん周囲は社杜に囲まれています。
すでにスタッフの方々は色々準備に取りかかっていました。
少し休んでから各武器を持って三の丸址へ。ここは大奥とか城代の家族が住んでいたようです。
広くはなっていましたが、もともと木々が立っていたのか、切り株があちらこちらに(笑)。
寸劇のリハを始めました。
まあ、私は名も無き北条方の一甲冑武者なのですが、なぜか人数の関係で一人で武田側の武者2名を相手に!
持って来た鑓が骨董品の方だったので、穂先が外れないように中心をずらして回しました。でんでん太鼓で回しながら片方の玉だけを打たせる技ですね。もし穂先が外れてしまうと、かすっただけで怪我をする恐れがありました故。一昔前なら出来なかったのですが、心中はかなり余裕を持って穂先がはずれないように練習が出来ました。
ただ他に冷や汗だった点、普通、複数名を相手にするときは目で見ないで闘います。だから目で見据えていない相手に打ったり突いたりします。攻撃側はさしたる苦労はないのですが、受ける側は見られていないのに鑓が繰り出されるのでタイミングが合わず大変だったかも知れません。何度か本当に当りそうになりました。ましてやあちこちに切り株があります。私も穂先がはずれないようにしたり、不意打ちにならないようにしたり、切り株につまずかないようにしたりと、まだまだ修行不足を感じた次第です。
それにしても義虎殿の指揮ぶり、そしてそれとなくサポートする用宗殿と軍兵衛殿、その他の方々も良く意気が合ってました。
夕刻からコンビニに買い出し。
食べながら語り、楽しかったです。
用宗さん、さすが博識。本当に驚かされます。
話している内に来年の寄居はぜひ行きたいと思いました。
やっぱり世代的にシニアなんでしょうか。強いて若者グループとシニアグループに分かれるとしたらシニアでした(笑)。心はいつもヤングソルジャーなんだけどなぁ。
でもみんなおもしろい人ばかりで和気あいあいでした。
夜に繰り出した散歩もおもしろかった。
完全に酔っぱらっているオジサンがいたり、城からの夜景を愉しんだり。
お酒はほとんど飲みませんでしたが、結局シャワーも浴びずに寝てしまいました。
そうそう、書き忘れましたが、兵糧丸はなかなか好評でした。
集まった方々の趣味からするととりあえずは食べてくれるかなという程度だったのですが、思いの外好評でした。
来年はもっとグレードアップしたものを作りたいと思います。
滝之城祭りで売ってもいいかもしれませんね。
ある意味、これを期待して泊まりに来たようなものでしょうかね。
来年もこの前泊があることを大いに期待します。
平成二十四年皐月二十一日
不動庵 碧洲齋