不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

社会に思うこと

渋谷駅で男性が刺された事件で、昨夜、容疑者が逮捕されたそうです。

32歳のアルバイト。1年前に会社を辞めさせられたとか。

それでも家賃の滞納はなく、おとなしいと言うことですが、今朝のニュースでは、同じアパートの住民は狭い階段ですれ違ったときにこちらから挨拶しても返事が来たことがなかったと言うことです。

夜のアルバイトに行くのに全長30センチ程度のサバイバルナイフを所持。

エスカレーターで肩がぶつかり、かっとなって刺した。

刺したナイフは駅のトイレで洗い、血を拭き取ったそうです。

そして少なくとも捕まるまでは自首してこなかった。

私が知っているのはここまでですが、ここから私なりにちょっと考えてみました。

私も昔、デカいサバイバルナイフを持ち歩き、粋がっていたことがありました。

16歳ぐらいの時ですから、この容疑者の年齢の半分の時です。

まあ時代がちょうど「ランボー」にさしかかるかどうかという頃だったでしょうか。

サバイバルナイフはランボーブームの少し前から持っていましたが、長いサバイバルナイフはランボーを見てからです。ただ不良少年と違ったのは、研ぎ方や扱い方、使い方などもマスターしたこと。ちょうど武芸を習い始めた頃だったので、武器としての扱いも学び始めたこと、武器の歴史や戦争の歴史も死ぬほど読んだこと、だったでしょうか。

おかげさまで危険なものに囲まれていた割にはかなり自制された環境でした(多分ね)。

忍耐力や寛容性というのはどうやって得ていくのか、一人の親として未だよく分かりません。今のところは息子の天性の性分にかなり助けられている感ありです。

この容疑者をザックリ言えば、忍耐力と寛容性、そしてコミュニケーション能力が欠如していたことでしょうか。デカいサバイバルナイフは特定の使用目的もなく持ち歩いてはいけませんが、取りあえず持っていることそのものは実は全く大した問題ではありません。

2次元ロリアニメの愛好者だろうが、ガンマニアであろうが、ナイフ愛好者であろうがそんなことは大したことではないと思います。キケン動物収集家は危険な人か?(あ、はいそうです) 高価なキケン動物を収集するのにたくさん働いたと思います。その過程で忍耐力や寛容性、コミュニケーション能力というものが普通は蓄積されていくものです。だからアニメヲタがオカシイ人ばかりというのは「偏見」です!(・・・多分・・・) オカシイのは忍耐力や寛容性、コミュニケーション能力、まあ他にも色々ありますけど、そういうものが著しく欠如している人がオカシイんです。

誰のせい?個人的には社会だと思います。でも社会には意志がありません。(強いて言えばマスゴミ、もといマスコミなんかが扇動、誘導しているのでしょうか)基本的に社会とは一人一人の集合体です。だから一人一人が賢明にしてできたらその両隣ぐらいにはチョロッと手を貸すぐらいでもいいと思います。ただしチョロッとでは済まされない人がいれば、その人の親です。親は全身全霊を打ち込んで、祈りを込めて魂を込めて愛情を込めて、できたらお金も込めて成人するまで育て上げねばなりません。人間の生活活動で教育以上に尊く重要な事は存在しません。人間がいなくなったら困るので、神様ですら、神よりも教育の方が重要だとおっしゃるはずです(笑)。

昔の成人は大体15歳でした。だから30歳だったら生まれてから親元にいる期間と社会に出てからの期間が拮抗しています。そこではじめて論語で言っているように自立できてくると言うことだと思います。だから今回の事件の5割は厳しいことを言うようですが両親の責任だと思います。もちろん半分は自分自身ですね。とはいえ個人なんて弱いものです。やはり健全な社会だけが多くの人間を健全に育成することが出来ると思います。マスゴミ(あ、また間違えた)とか霞ヶ関ゴミ処理センターの皆様の並々ならぬ努力で今や自殺率、孤独死、教育、犯罪、経済状況など、国民の皆様が拳を上でなく横に突き出してしまいたくなる情勢です。

容疑者は「社会のせいにするな!甘ったれるな!」ですが、社会が問題であることはもちろんです。親の教育が悪かったことも言うまでもありません。でも社会人になって一巡した後のことまで責められたらちょっとたまりません。

小さいことですが、一人一人が懸命に生きて、できたら少しでも周囲にそれを影響させていくしかないと思いますが、ある意味それが世界で最もうまくいっている国もまた、日本だったりします。日本人であることを誇りに思い、日々行いを慎みたいところですね。

平成二十四年皐月二十四日

不動庵 碧洲齋