先日、とある女性知人(笑)と語らったのですが・・・
彼女曰く、10歳も20歳も年下の女性と結婚するのは男の精神年齢が低下していて、同じ年代の女性とかみ合わなくなってきたからだとか。
若い方の女性にしてみても、どうせ離婚しても経験は得られるし、それなりに豊かな人と結婚するのだから便利というか有利というか、次の出会いのために損はしないのだとか。
私の場合は恋愛経験の経験値はズバリ低いので、エラそうに言ってよいのかどうか分かりませんが、上記のようなケースがあるにしても、当然ながらそうでない場合の方が多いのではないかと思います。
「人の恋路を邪魔するヤツは馬に蹴られて何とやら」ではありませんが、人の恋愛観などというシロモノはそれこそ千差万別で、それ故にもしかしたら単に歳の差婚がクローズアップされてきたから知られてきただけなのかも知れないし、女の方が狡猾になってきたから、対象年齢を下げてきたのかも知れません。
そもそも「その次」を計算して歳の差婚をするなどといった畜生にも悖る輩がいるとは思いたくないところではありますが、憚らず口からそのような不道徳な言葉がサラリと出る辺り、日本の道徳レベルの低下を危惧せずにはいられません。
彼女のその言葉にはただただ沈黙するしかありませんでした。
私は正直言って人の善意を信じたいところです。
最近の科学では人間の性は性善説だと言うことが分かってきています。
だから私が自然に従うと言うことは、性善説他ならないと、最近は思っています。
男の立場で言えば、生物学的に若い女性の方がいいということは十分にありますね。きれいで優しかったら、性格的に概ね許容できたら若い方がいいに決まっています。
とはいえそこは野生動物ではなく(野生動物だって好みはあると思いますが)、人間なので、若い女よりも好きな女、に多少なりともウェートがあるのではないかと思います。ま、分かりませんが。
友人に女性、男性それぞれ10歳以上も年が離れている夫婦を知っています。(どちらも外国人ですが)見たところどちらも幸せのようですが、どちらかの精神年齢が低いというわけでもなさそうです。
そもそも海外では歳の差婚なんて名前が挙がる前から、結構多かったように思います。この会話の時は黙っていましたが、均一化を好む傾向になる日本に比べて、海外では結構歳の差がある結婚は珍しくないように感じます。
故に愛情に美醜や年齢、社会的地位や学力などが加味されるのはいかがなものかと思います。ちょっとカッコ良いことばかり言っていますが。
私が旧約聖書の中で好きな言葉があります。
「私は限りなき愛を以ってあなたを愛している。それ故、私は絶えずあなたに真実を尽くしてきた。エレミヤ書31-3」
愛情は商業取引をしているわけではないのですから、際を外し、絶えず、真実を尽す、愛情というのはこのようでありたいと思います。商業取引風愛情を厳しく戒めた新約聖書の言葉もあります。
これも私が好きな言葉ですが、
「あなたが自分を愛する者を愛したからとて、何の報いがあろうか。そのようなことは取税人でもするではないか。マタイの福音書5-46」
「自分を愛してくれる者を愛したからとて、どれほどの手柄になろうか。罪人でさえ、自分を愛してくれる者を愛している。ルカの福音書6-32 33」
の二つの言葉も愛情の対価を量ることについて、戒めています。
話が逸れました。
好きな人同士であれば、年齢などは大した問題ではないと思うのですが、逆に日本で最近、歳の差婚がクローズアップされてきた理由はどこにあるのか、私はそんなところに興味を持った次第です。
平成二十四年卯月十日
不動庵 碧洲齋