不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

右の頬を打たれたら・・・

前にも書きましたが、毎週、息子は「週刊マンガ世界の偉人」を買ってきます。

今週、そこで紹介されていたのはイエス・キリストでした。

どんな風に説明したらよいものか・・・。

私の「イエス像」は遠藤周作とほぼ同じです。

もの凄くリアルイエスです。

果たして息子にそんなリアルに教えて良いものかどうか・・・。

冒頭では早速、第一の関門。

「右の頬を打たれたら左の頬も差し出しなさい」

あ~出た出た。

日本では完全無抵抗主義と評されますが、私は違います。

息子にはこう説明しました。

「普通、人を殴ったら、殴られた相手はどうする?」

「ん~、やっぱり殴り返すか、逃げるかな。」

「だよな~。普通はそうするんだよ。でも何でイエス様はわざわざそんなアホなことを言ったんだろう?」

「ん~分からない」

「一度殴られたのに、反対側の頬を見せられたらどう思う?」

「ちょっと引く。」

「自分が怒って殴ったことをどう思う?」

「ちょっと悪かったかもって思う。」

「そこだ、多分、イエス様は反対側の頬を見せて『どうぞ反対側の頬も打ってください』と見せた時、殴った相手の心がチクリとする、その感覚を教えたかったに違いない。」

「ふ~ん。」

「だって、そう言われたらまた殴れるか?」

「ちょっとやだな。」

「そう、それが正しい心にくっついている、ちょっとした悪い心で、基督教では「罪」と呼ばれているものだと思う。イエス様は、そのちょっとだけ付いている悪い心も捨てなさい、って言いたかったのかと思う。」

「なるほど」

「心が命じて人を殴ったのに、殴った時に心が痛む。何でそうなるのか、その答えをイエス様は持っていたに違いない。」

「・・・どんな答えなの?」

切々と話していましたが、息子は寝てしまいました。

私の考えが正しいかどうか分かりませんが、今日はその続きを話してあげたいと思います。

平成二十四年卯月二七日

不動庵 碧洲齋