不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

太公望とタンポポ

昨日、食後に私が夕食の片付けをしていたところ、息子が自主的に手伝ってくれました。彼の言い分では「オレは学校で頭を使っているから、家で身体を使うとバランスがいい」のだそうです(笑)。

調理器具を全て洗ってくれたのですが、とても助かりました。

その後、息子が毎週買っているマンガ世界の偉人を一緒に読みました。

そのマンガには今流行のカードゲームのように、世界の偉人たちがカード化されて、毎週9人ずつ付いてくるのですが、なかなかの出来映えです。私の場合、どうしても中国人の偉人がメインになってしまいますが、息子によく話聞かせます。

今週は太公望呂尚を見つけました。

「この太公望さんはね、今から3000年以上昔の中国の人で、3人の王様を助けて国を大きくしたんだよ。」

「へ~、立派な人だったんだね」

太公望さんはね、若い時は大工さんをやったり、食堂で働いたり、ヒマがあると本を読んでばかりいていつも貧乏だったんだ。それである日、奥さんがとうとうキレて離婚してしまったんだ。」

「・・・」

「でも後で王様を手伝うようになって、王様の次ぐらいに大きい家に住むようになって、おじいさんになった時、別れた奥さんがやってきて言ったんだ。『むかしのあなたは仕事もせず、ひどい暮らしぶりでしたが、今は陛下の補佐をして立派になりました。もう一度あなたの妻にしてください。』そこで太公望さんは水を入れた器を持って来て、庭にそれを撒いて言ったんだ。『撒いた水をこの器に戻すことができたら、また奥さんにしてあげよう』もちろん、そんなことはできないので諦めて帰ったんだそうだ。」

「この奥さんだった人はとんでもないねぇ。」

「確かにずうずうしい。(今の中国人のように!)この奥さんは多分、朝顔の育て方は知っていても、楠の育て方を知らなかったんだよ。」

「ん?」

「人はみんな、何かの種なんだ。朝顔だったり、稲だったり、桜だったり、楠だったり。朝顔と楠の種を同時に植えました。どっちが先に芽を出すかな?」

「そりゃ朝顔でしょう」

「そうだ。多分、楠の種は芽が出るまで何ヶ月も待たなければならないし、大きな木になるには100年とか待たなければならない。人間も同じですぐに花開く人もいれば、年寄りになってから花開く人もいる。」

「なるほどね・・・。」

「今勉強ができない人も、大人になったらスゴイ博士になるかも知れないし、今勉強ができる人も大人になったらどうなるか分からない。」

「ふうん・・・でもそうかも。」

「だから人間はその種が何の種なのか分かるまでじっと忍耐をして、何の種か分かったら、その種に合った育て方をしたいね。」

息子は自分が何の種なのか一瞬考えたようですが、彼にはまだ十分な時間があります。じっくりと考えて欲しいところです。

私はこの話が結構好きなのですが(笑)、昨日息子が寝た後で、もう一度考え直してみました。言ったのはかの偉大な太公望です。私ごとの復讐劇で悦に浸るような器の小さい人ではないはずです。そしてはっと気付きました。

多分、哀れな元妻が後悔の念を引きずって今まで生きてきて苦しい思いをしていたのを見かねて、太公望は助けてあげたのだと思います。過去よりも未来、特に老い先短い身です。短い未来をもっと大切にしなさい、そんな風に言ったのかも知れません。いや、言ったのだと思います。

そう思うと痛快な復讐劇だとおもしろがっていた自分の器の小ささに恥じ入るばかりです。私も朝顔でなく太公望のような大樹でありたいと思い願い、身を慎みたいと思います。

今朝方、息子に尋ねました。

「お前は何の種だと思う?」

「ん~、タンポポかな。だっていっぱい種をまいて、きれいな花が咲いたら、みんな喜ぶじゃん。」

見事に一本取られてしまいました。命の長短、大小問わず、森羅万象は等しく仏の在り方として尊いものだと、いつも息子に言っていました。それにしても息子のこの答え方には感謝せずにはいられませんでした。

平成二十四年卯月十八日

不動庵 碧洲齋