不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

知己を得る

土曜日は久しぶりに電車にて稽古に行きました。

もう長いこと自動車で通っていました。

電車を使ったのは数年前に1回、あったかどうか。

連続して使っていたのは高校生の時ぐらいだったと思います。

何故電車だったのかと言えば、当日は稽古後に友人に会うためでした。

たまの電車は良いですね、ぐっすり寝ることができます。

友人と言ってもネット上で数年間付き合いがある方で、今回初めて会いました。

もちろん武芸関係になります。

幸いにも私の場合、幾つかの流派の先生や武友の方々から御友誼頂いていて、何かと交流を持っているのですが、今回は久しぶりに新しい流派の方と会うので(メールではもう何度もやりとりはしていましたが)、楽しみにしていました。

稽古後に行ったのは、久しぶりの大宮。

大宮なんて東京に比べたら田舎なんでしょうが、やっぱり人は多かったです。

そこで初めてI氏と会いました。

まず、初対面で威圧感や「強そう」と感じたら大抵は疎遠になりますが、I氏は想像していた以上に物腰の柔らかな方でした。よい意味で私の期待を裏切りました。

早速、近くの居酒屋に行き、早速酒を酌み交わしました。

私自身はさして飲めないので、ビールジョッキをちびちびやっていただけですが、I氏は結構飲みました(笑)。

ま、それはともかく。

普通、武道の価値観や通ってきた道筋などは、割に違っているものなのですが、このI氏の場合、ぎょっとするほど自分の持っている武道観に近いものがあり、ある意味驚きました。

他流同士ではその違いを何故かと言うことで違いを楽しむのですが、他流同士なのにここまで違いを感じなかったのは初めてかも知れません。

ある時期、精神的に徹底的に追い込まれた時、スパリと「今まで鍛錬してきた武道の精神は助けてくれなかった」と言ってのけました。

武芸を徹底的に生涯を賭けて歩んでいる人間がそう言うのはなかなか勇気が要ります。

でも私もそうでした。武芸で鍛錬した、強靱だと思われた精神力は卵の殻のようにグシャグシャと潰されましたが、I氏も全く同じ経験をされたようです。

そして武芸に距離を置いたりと言う点、私も留学や仕事の関係で離れた時期が数年ずつありました。

そのような中で形成された武道観なので、私と似通ってきているのでしょう。

まあ、私の方はいささか勉強不足の観がありますが、私の方は家庭の諸々雑事のハンデがあると言うことで(笑)。

武芸を通じた教育や流派について、宗教、中国哲学など、10時過ぎまで話し込んでしまいましたが、久しぶりに人と話して楽しい思いをしました。

しかも聞いていてとても為になるということが、何にも増して私を満足させました。武芸に関する知識が非常に深く、しかも実践に裏打ちされています。

私の場合は実践を通じた上で、おぼろげな哲学というか思想らしきものがあるだけですが、I氏の場合は実践と後進のための指南という点で、実践と哲学、思想がはっきりしています。これは私も考えさせられました。

I氏と私は同じ歳なのですが、I氏は何度か「自分も結婚して子供がいたら、こんな風に子供に教えるのかな・・・」と私に重ねることがあるようでしたが、私もまた、結婚をせず武芸にもっと打ち込んでいたら、こんな道を歩んでいたのだろうな・・・などとやはり重ねてしまいます。

これから多分、I氏とは流派を軽く超えて、武芸のみならず、色々な方面で浅からぬ縁になるのではないかと感じた次第です。

仏縁と言いますが、これは本当によいが縁持てました。

平成二十四年弥生十九日 不動庵 碧洲齋