不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

正師逢見之日

何を隠そう今から26年前1986年の今日は、私が今の師と初めて会った日です。

まだ26年?もう26年?よく分からないのですが、とうに人生の半分以上を武芸に費やしてしまいました。

好きこそものの上手なれ、ではありませんが、うまい下手は別として好きだから継続してきたのでしょう。

個人的には良い道場だとかよい師がないと修行ができないヤツはけしからん、と思ってはいますが、それは今だから思うのであって、一番最初に酷い道場やとんでもない先生に出会ったら目も当てられません。それを考えると一念発起した最初に良い師に出会えたことは天佑を得た、と言っても過言ではありません。

私の場合、武芸の師はもちろんのこと、禅の師、昨年他界してしまいましたが木刀の師でも、およそ考えられる限り、最高級の師と巡り会うことができました。

中国の言葉にあります。

「天の時は地の利に如かず、地の利は人の和に如かず」

うまいタイミングでやってくるチャンスは人の行為の積み重ねでしかないと。

私はそんなに善行をしているとは思えませんし、意志が固かったり徳に篤いと言うことは本当にありませんが、ネットを含む私の周囲の友人方々は間違いなく素晴らしい方が大半です。こればかりは「とても運がよい」としか言いようがありません。このことに関しては毎日毎日、感謝の念を持ち続けるように心掛けています。もしかしたらそれが為に素晴らしい師や友人たちと知り合うことができているのかも知れません。

私が師と出会った時、私は16歳、師は42歳でした。そして今、私は42歳です。

今、私の目の前に16歳の時の私のような生意気すぎるクソガキがやってきたら、優しく微笑みながら再起不能に近いぐらい半殺しにしてしまいそうです。

それだけに寛容な気持ちで受け入れてくれた師や先輩たちには今でも頭が上がりません。

「本当に成長しているのだろうか」

芸事を学んでいる人は等しく、そう思うに違いありません。

でもやれることは日々僅かな時間の中で精進するだけです。

「ああ、そういうものか」

と得心がいくようになってきたのはごく最近のことです。

若い内からそんなしようもないことを納得してはいけませんが、どうも私はそういう理解が遅いようです(笑)。

人はそれぞれ違う種類の種を植えて育てるのですから、他人と同じというわけではありませんが、やはり理想というものは生涯追い続けていきたいと思います。

さて、今晩も26年目の稽古を始めようとしよう。

平成弐拾四年如月弐拾弐日 不動庵 碧洲齋