不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

白隠禅師と松蔭寺

今年の年末は2年ぶりに妻の実家のある愛知県に行き、帰路、沼津市にある松蔭寺に行くことができました。 機会があれば是非にと思っていたのですが、なにぶん埼玉からは遠く、この機会を逃してはならじと思った次第です。 富士インターチェンジで下道に降り、海岸沿いを走っている国道1号線を東に進みました。 地図ではまさに海沿いなのですが、あいにく防砂林と防波堤で海は全く見えません。 松蔭寺に着く少し前の防砂林で止め、家族で田子の浦を見ました。
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田子の浦の美しさは万葉集山部赤人の和歌 「田子の浦ゆ うち出でてみれば 真白にそ 富士の高嶺に 雪は降りける 」で有名ですが、その名の通り、非常に美しい景勝地でした。ただ近年までは公害で非常に汚染されていたそうです。今は本当に美しさを取り戻した感ありです。ただ、巨大な製紙工場はまだありました。なお田子の浦は泳げません。まあ、その方が美しさを保てるのでしょう。 松蔭寺はかの白隠禅師が得度した寺なので、もっと広大で荘厳かと思いきや、以外に簡素でした。町寺よりは若干大きいといった程度でしょうか。 逆に妙に納得させられたりもしました。 入り口には大本山白隠宗とありました。臨済宗のHPにも寺の名が連なっていないので、今は臨済宗と分かれて、独立しているようです。
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本堂にはちょうど住職がいらっしゃったので、少し話しをさせてもらいました。 本尊の前には明治天皇御宸筆による「国家」という文字が額に掲げられていました。 本堂の左脇には座禅堂がありました。太鼓などの行事に使う道具なども一緒に置いてありましたが、一番衝撃的だったのが座禅堂奥にある、六角形のお堂に納められた白隠禅師の木像。白隠禅師がご自身で彫られたとのことです。少し高いところに安置してあり、見上げる感じです。普通、お坊さん、特に高い位の禅僧ともなると、スッと坐って微笑んでいるようなものが多いと思いますが、この木像は違うのです。身を乗り出して、ギロリと見下ろしているのです。目の部分がちゃんと白目と黒目で分かれている上に、薄暗いので目が強烈です。仏像ではないのだからちょっと写真でもと思ったのですが、見た瞬間、足が震えるほどの迫力のために凍り付いたように見上げるのが精一杯でした。何度も言いますが、そこいらの木像とは格段に迫力が違います。 座禅堂を出ると、裏手にある墓地に行きました。 さすがに古いお墓もありました。 ここでも強烈なモノを見ました。 白隠禅師のお墓はさすがに広く、左右に多分高弟の墓石が配置されていました。 ところがその広い墓所の左右と後ろ側にはズラリと僧侶の墓石が並んでいました。 話しには聞いていましたが、全部、修行中に亡くなった修行僧たちの墓石なのだそうです。 死んでなお、白隠禅師を取り囲み修行を続ける決意、座禅堂の前にも「大憤志」とありましたが、墓石でそれを意思表示されると言葉が出ませんでした。 それに比べると私がしていることなどは赤子のお遊びのようなモノです。 それでも今年はやや、修行に重きを置きたいと一大決意を持って懇ろに手を合わせました。
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白隠禅師の墓所
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修行中に亡くなった修行僧たちの墓。白隠禅師の墓所の左右と後ろにずらりとならんでいます。 境内にはいくつもの石仏がありましたが、全部撮影するのも大変なので、不動明王大日如来だけにしました。 あいにく摺鉢松は先の台風で完全に壊れてしまったそうです。残念です。ただ、境内の末はきれいに選定されていて、どれも皆立派な松でした。
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今年は息子が3年生になり、もっと手がかからなくなるため、自分自身の修行に打ち込もうと思っていたところでしたが、この松蔭寺に来て、更に決意を新たになった気がしました。 帰路、沼津港のすぐ横にある鮮魚市場にて色々散策をして、買い物をしました。 かなり遠くからやってきた観光客もいて、帰省中の人たちだけではなさそうです。 結構有名な漁港だったんですね。 おいしい海鮮料理の昼食を頂いてから帰路につきました。 SD120105 不動庵 碧洲齋