臘八大摂心とは禅宗において12月1日から8日の明け方まで行われる、1年で最も重要な接心です。接心とはいわゆる修行僧が集中して坐禅をする期間のことです。
これはお釈迦様が12月1日から7日まで、ブッダガヤの菩提樹の下で坐り、8日の朝、明けの明星を見て悟られたことに由来しています。
接心は年に何度かありますが、この接心は7日間、不眠不休で為される故に命取りの接心とか呼ばれているそうです。
僧堂にもよるそうですが、例えば建長寺では本当に7日間、不眠不休なのだそうです。他の僧堂でも坐睡(坐禅をしたまま少し休む、という程度のようです)程度だそうです。
もっとも師から聞いた話だと、臨済宗でも最も厳しいとされる建長寺でも、4日目に僅かばかりの坐睡が、1.2年前から許されるようになったとか。そうでもしないと今時の修行僧は保たないのだそうです。個人的にはそれでも超人的に凄いと思いますが。
毎年、師から臘八大摂心の凄まじさを聞きます。
まあ、これは本当にやった人でないと分かりませんね。
生ぬるく坐っているだけの、一在家如きが分かろうはずもありません。
頭で考えることができなくなるのだそうです。
思念というのが全く枯れ尽してしまうそうです。
そしてそこにこそ、仏を感じることができる条件があるのだそうです。
もっと厳しいことを言えば、(師の言葉によると)2.3年やったぐらいでは分からないとのこと。2.3年というのは、例えば実家が寺で、継ぐためにやむなく僧堂に掛塔する程度、ということのようです。本当に正悟するためには少なくとも10年とか20年とか、そんな長さをこなさない内はよう分からんのだそうです。
私からすると、2.3年でもちゃんと修行をした禅僧は大したものだと感心せずにはいられません。(僧堂を脱走?してしまう人がかなりいるようなので)
そう考えると私如きが「修行」なんて言葉を使うのも厚かましいぐらいに感じます。
私の通っている禅寺でもこの期間、毎晩2柱(約1時間)程度ですが、連続して座禅会が行われます。修行僧の皆様からしたら遊びのような長さではありますが、僅かでも自我という妄想と仏を感じるために、チャレンジしています。幸いにも仕事の関係で私は毎日通うことができますが、このように集中して坐れるときは、一層励みたいと思っています。
ここで坐ります
今年は最終日には息子も連れて行き、終わった後のお寺からのごちそうにも預かろうと考えています。
さて、今日からなけなしの力を振り絞って参りますか。
・・・しかし、今日は雨が降っていて寒そうだな・・・
SD111201 不動庵 碧洲齋