不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

今日の日記

あ、すごい平凡なタイトルになってしまいました。

先月はイベントがあったことと、東京の老師が珍しく体調を崩したため、先月は座禅会には参加しませんでした。

今日は朝から坐禅会、4時過ぎに自然と眼が覚めました。

そしてあいにくの曇天の中、5時に出立。

いつも通り、5時半に到着、一番乗り。

いつもと違うところに坐りました。いつもの場所から入り口に坐蒲一つ分近いところにしました。

別に理由はありません。

始まる30分前に来ているので、1シュ目で1時間、2シュ目が30分。

読経、提唱。

今日は提唱でなかなかいい文句がありました。

せっかくなので紹介しましょう。

臨済録 行録

書き下し文「見の師と斉しきは、師の半徳を減ず。見の師に過ぎて、方に伝授するに堪えたり。」

意味「弟子の見識が師と同等では、師の徳を半減することになる。見識が師以上であってこそ、法を伝授される資格がある。」

いわゆる出藍の誉れというヤツでしょうか。

いい言葉です。この場合、師の黄檗と弟子の臨済を指しています。

帰宅後、着替えてすぐ息子を連れてまた出立。

母方の祖母の墓参りに行きました。

墓地は松戸市にある八柱霊園です。

往路、息子には繰り返し先祖の徳、尊さ、苦難の人生を話しました。

私は息子と2人で車に乗ったり、話をする機会が多いのですが、他愛のない話と混ぜて、重要で深い話もします。

息子からぎょっとする程深く難しい話、難問を出されることもあります。

祖母は私が5歳の時に他界し、おぼろげにしか覚えていませんが、母から繰り返し祖父のことや戦後の苦しい時代のことを教えられてきました。

無数の先祖たちが収斂して、今の私に至っています。

そして私を含めた無数の収斂が息子に至っています。

先祖たちが無為に命を後世に送り延べたわけではないと思います。

そしてそれは言葉などではなく、私そのものがその答えだと思います。

だから私の場合は、禅で自分に有り尽くそうと思っているわけです。

息子は今は魂で分かっていますが、多分、一度遠くに離れてしまうかも知れません。

しかしきっと、私よりも早く、その真理を理解する日が来ると思います。

道中、コンビニで朝食を食べました。

そして花を買って八柱霊園。

残念ながら祖母の墓地とその周辺はあまり清掃されていませんでした。

墓の花瓶や墓石など、結構汚れていましたが、息子は喜んで、率先して洗ってくれました。

息子がうらやましいです。息子は体や心全体で、「それ」が何であるか分かっているのだと思います。

私など、痛い思いをして坐って、分かったつもりになっているだけですから。

できる限り清掃したかったのですが、今にも雨が降りそうだったので、墓石を掃除して、花を生けたときにはポツポツと雨が。

急ぎ息子と般若心経を読経して、引き上げ。

同じ霊園にある、とある有名人の墓所にも行きましたが、これはまた別の話としてブログに上げます。

一ヶ所、用事を追えてから帰途に就くも、まだ早い時間だったので、柴又帝釈天に立ち寄りました。

ここはよく来ます。

観光地化されてしまった浅草に比べ、柴又はまだ昔の良さが残っています。

故に私はよく外国人の同門を浅草ではなく、ここに連れて来ます。

天候がよくなかったためか、観光客は少なかったのですが、それでもそれなりに賑わっていました。

息子と本尊を拝み、参道の商店街を歩きました。

息子は駄菓子屋で色々買いました。

・・・もちろん、私も買いましたけど(笑)。

あ、ここにくるといつも買ってます、本当言うと。

今回、ロウセキを買いました。

ロウセキは震災が発生したとき、壁や道路に直接書けるんですよ。

意外に知られていない、防災グッズなのです。

繰り返しますが、私は母から先祖の大切さを繰り返し、教えられてきました。

全く以て頭が悪い上に根性も悪かった当時の私には分かろうはずもありませんでしたが、今に至っておぼろげに理解しはじめ、よき両親、素晴らしき師たち、かけがえのない各界の友人たち、そして息子のお陰で今の自分があると、日に何度も思い返すようにしています。

特に30代、40代になってからは私には過分な程、素晴らしい方々と国内外に知己を得ることが多くなりました。

本当に慎まねばならないと、今まで以上に思うようになりました。

そこから、私たちの先祖たちが何を想い、何を伝え、何を残してくれたのか、忘れずに生きて参りたいと思います。

SD111106 碧洲齋