不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

技と術と芸と道と法

技:

元々は手で細枝を持って自在に操る様が「技」の表意です。転じて末端の技量とか、細工技術のようなことを表します。

術:

原義は人の往来が絶えぬ道。こちらも「技」には違いありませんが、それを伝統的手法を用いて実践すると言うことです。多くの継承者たちの智慧が詰め込まれた技と言えます。

芸:

人が植物を土に植える様を表しています。この技術は自然と人工を融合させるところに奥義があります。

道:

首/頭を向け、進む方向を示すことが原義。転じて行くべき方向を行くことを示しています。

法:

湖の中にある島にいる珍獣を湖から外に出さないようにする方法。転じて道に至らしめる為のきまり。

よく、「この技は使えない、あの技は使える」などという人がいます。

ま、確かに使えないと思いたくなる技がないとは申しませんが、例えば私は技というものをこのように捉えています。

「そのもの」から一部を切り取ったもの、それが「技」です。

もともと何かの一部だったものを学習の便宜上、切り取って観察し実践するわけです。

そこだけ観て「使える/使えない」というのは、どうもその切り口から切り口まででお終いだからとか、何かの連続面であるかとか、そのようなものの捉え方なのではないかと思います。

ビーフステーキがうまそうであっても、ナイフとフォークで切り分けないとうまく食べられません。ピザも然り。多分、「技」というのはそれと同じようなものです。

腹が減っていたら、早く効果的に切り刻みたいわけです。あるいはデートの際だったらいささかカッコよくスマートに切り分けたいわけです。その辺りはTPOかもしれませんが。そこでうまく出てくるのが「術」です。「術」には先人たちの知恵と技術がいっぱい詰まっています。だからそれ故に先人たちに敬意と感謝を込めて用いたいものです。

デートのたとえで継続しましょう。

で、イカす食べ方をしても、レディのココロを掴まねば、単なるバカを見ます。スマートでカッコいい食べ方をして、引きつける話し、魅せる笑顔で相手のハートをガッチリと掴む。これが「芸」かと(そういうことにしておきましょう)。

それから先、単に相手の身体を求めているのか、心を掴みたいのか、人生を共有したいのか、色々な「道」があります。相手が同意するならどれでも良さそうですが、とりあえずちょっと身体が夜泣きしている程度の(エロい言い方でスミマセン)相手と人生まで共有しようと画策するのは少々リスキーですし、人生の全てをかけている相手に一晩だけのお供というのも大変失礼です。さりとて何でもかんでも中庸の道というのも消極的かと。その辺り、特に女性とのやりとりは大変難しいものです、うんうん。

そしてコイツを失敗させないためのきまりが「法」。これは何にたとえたら良いんでしょうか・・・。私は各宗教の教えでも良いと思いますし、自分が尊敬している偉人賢人たちの人生訓でも良いじゃないかと思います。これらにあてはめて道を歩いて行けばいいのではないかと思います。

武道・武芸について書いたつもりだったのですが、何か全然違う様相になってしまいました(笑)。でも気に入ったからこのままにします。ちなみにこれは英語版の下書きにするつもりでしたが、こんなのは訳せないので英語は英語で別のことを書くことにします(爆)。

SD111116 不動庵 碧洲齋