正確には危うかった、と言うべきでしょうか。
昨夜、寝る前に不気味な腹痛が・・・
数年前、私をして生まれて初めて点滴を受けさせられてしまったヤツ・・・
尿道結石、ではないかと。
同じ痛みだった・・・。
病院に行くという選択肢もあったのですが、なんたって翌日は忍城、春来日のフィンランドの武友(フィンランドの親しい武友のお弟子さん)も呼んじゃったし、だいたいオレ、殺陣もやらねばならないし。
前回病院に行ったときは、夜間なのにワカイイ女医さんがいたため、脂汗を流しつつ「あまり痛くありません」「大丈夫です」などと口が勝手におおぼらを吹いて困りました。
あれがイケ面だろうがおっさんだろうが男だったら「痛えよ先生!ナントカしろよ、コノヤロー!」とか喚いていたかも知れません。(笑)
幸いなことに前回よりは気持ちややまし、そして石は5ミリ以下は命に別状なしと聞いていたので、ともあれ水を多めに飲み、バファリンを飲み、うなされながら寝ました。
寝ながら何かどれかの真言を唱えていた気がしますが、忘れました(爆)
朝起きると、寝間着はやや汗で濡れていたものの、痛みは引いていました。
ま、それは予定通り。
で、その痛みが「尊い痛み」に感じられたのです。
明日、大事な用事があるのに、どうして自分が、・・・なんて思ってしまうんですね。しかし大自然のあり方、運行は私如きに合わされていません、人類如きにも合わされていません。大体、いつも言っているように「私」なんて束の間の「現象」であって「存在」ですらないんだと思えば、私も他人も行事も痛みも皆、尊い仏のあり方、仏のありようなのです。
それをしてそれがそのまんま、多分、自分が自分で自分を勝手にフォーカスをして、ファインダーを覗いたときに、邪魔なものがあったりすると、「ああ邪魔だな」と思ってしまいますが、もしかしたらそれは自分だけがそう思っているのかも知れません。空を飛ぶ鳥、他人、蟻には全く関係ないかも知れません。そもそも自分がなければ他人もないのです。
師が言っていました。自分如きがそれを良い悪いと、自分のモノサシで計ってはいけない、と。分かったような気がします。(本当に気がする、だけですよ)だから昨夜の激痛がとても尊く感じられました。いつもナンチャッテ禅行に励んだ甲斐があったと思いました(笑)。
ともあれ今日は無事に忍城之陣に参加できそうです。
SD111113 不動庵 碧洲齋