今日、私はとうとう42歳になりました。
基本的に40歳代というのは明らかに青年でも初老でもない、正真正銘、真打ちの「中年」というイメージがあるので好きではないのですが(笑)、40歳代で唯一思い入れがある年齢が42歳です。
今から26年前、1986年2月、私が16歳で武神館に入門したとき、師の年齢がまさに42歳でした。
入門時の師の年齢になってしまいました。
過分にも当時の師の段位やキャリアより今の私の方がずっと上のはずなのですが・・・
どう考えても今の私と、当時の師を比べると、私の方が明らかに劣りますね(笑)。
オコチャマです。クソガキです。ちょっと生意気なことを言ったり書いたりするお坊ちゃんです。
技量でもどうしても勝てそうな気がしません。
当時から師が言ってきている信念や技に対するアドバイスは基本的なところは全然変わっていないのです。
進歩がない?いえいえ、師は入門してすぐに根本の部分を悟っていたのだと思います。
私などは今に至ってやっとおぼろげになってきたような感じでしょうか。
武芸は履歴でも将来計画でもない部分に依存していると思いました。
私自身、あまり中年とか年齢を気にしない理由は幾つかあると思います。
基本的に私は今、この現在、この瞬間に有り潰そうと意識を向けていることが多いです。
その瞬間に有り尽くそうとすると、妄想も雑念も湧きません。
過去はもう過ぎたもの、よい思い出にしても苦い思い出にしても1ミクロンも動きません。
考えても仕方ないのです。(楽しかった思い出は少しぐらい思い出しても良いのでしょうけど)
未来も同じ、「未だ来たらぬ」です。単純な予想、推測以外の何ものでもないのです。
禅では前後際断と言います。
過去や未来を妄想するヒマがあったら、自分がなんとかできる今この瞬間に対してベストを尽くせと言うことです。(実際にそれができているかどうかは別として!)
結局、その行為が、その行為だけがよりよき未来を作り、よりよき過去の思い出を作るのですから。
変に過去を引きずったり、未来を思い煩ったりすると、それが顔や雰囲気に出るのだと思います。
うちだって貧乏です。
家庭にもほころびがないとは言えません(笑)。
会社も今こそ儲かってますが、どう考えても人的・設備的には健全ではなさそうです。
しかし、家庭や会社で自分にできるベストを尽くす。それ以外には何もありません。
思い煩ったりしたところで良くも悪くもなりません。
強い想念であってもゴミひとつ動かすことはできません。
ゴミひとつ動かすのはただ一本の腕だけです。
だから思い煩ったり、過去を懐かしむ哀しい中年、オッサンにならないためには(文字にするとちょっと引いてしまうような迫力があるな・・・)、今この瞬間を行動するだけです。
そうすれば少年、青年と同じ志でいられるのではないかと、勝手に思っています。
日本人は世界的に見て特に優秀な割には悲観しやすい民族のようです。
そういう過去未来の要らぬ妄想を断じ、今この瞬間に最善を尽くす喜びを味わって頂きたいものです。
四十二之辞
過去未来
如何に秤に
かけるとも
斯重に無双
今ぞ行ずる
(意)
過去と未来
どれだけ秤に
かけようとも
今の行いは
比類なき重さを持つ
(隠喩)
(天秤座にかけて)
天秤が折れる程の過去と未来があっても
(実際はそれらに重さは全くない、の意)
斯重に(四十二)無双(無想に掛けている、無心のこと)
(比較すべきものがない、つまり天秤に掛けられない、絶対的視点。過去未来は比較できる相対的視点。)
今を有り尽くすべし!
辛巳神無月八日 不動庵 碧洲齋 重歳に当たり