不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

「辛い記憶のバケツ」

先ほど、ちょっとYAHOO知恵袋を読んでいたら興味を引いた回答がありました。

かいつまんでその質問を訳すと、奥さんが他愛のないことでキレたということです。

以下はその回答の一部です。

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女性は「辛い記憶のバケツ」を持っています。

男性はわりと(そうでない人もいますが)、その場その場で処理するので、溜め込まない。

でも女性は「辛い記憶のバケツ」がいっぱいになるとひっくり返すしかなくなることがあります。

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キレるのは最近の人の特徴のように思います。

女性に多いことは本当にしても、男性でも結構いるように思います。

変えられない過去をいつまでも溜め込む様に戦慄を覚えます。

私の周囲にもしょっちゅうそのバケツをひっくり返す人がいますが、共通するのはやはり「自我(エゴ)」の強い人。

自分以外の相手を口撃したり、不平や不満を撒き散らすことで自我のアイデンティティをかき立てるような感じです。

特に呼吸するように常日頃から文句を言う人などはその傾向が高いように感じられます。

相手の対立を以てでしか自我を確立できない人は哀れとしか言いようがありませんが、大前提として自我なんてシロモノは幻想にしか過ぎません。

不平や不満、口撃対象を燃やして己の影を映そうという試みは、ハッキリ言ってかなり愚かです。

多分何を燃やしても何も映ったりしません。

見えたつもりになっているのは単なる自分自身の妄想憎念だけです。

「私が私が」とガリガリ、ゴリゴリ、グリグリしている人は、やはり精神的にどこか貧しいものを感じます。

そういう人は差し伸べた手すら、攻撃してくるように見えるようです。

若い頃はサバイバル本能むき出しにそんなこともありましたが、エエ歳してそんな体たらくでは日本社会が思いやられます。(もう思いやられてますけど・笑)

私たちは行為するそのもの、それだけです。

師は世の中の95%はサラリと流せる類のもので、残りの5%は拈提し、透過すべき問題だと言っていましたが、私も最近、いかに世の中にはサラリと流せる問題が多いことかと実感します。

確かに今の世の中は自分をしょっちゅう認証しないといけない、世知辛い様相になってきましたが、自我地獄に陥らないよう、心掛けたいものです。

SD111031 碧洲齋