昨日、息子が言いました。
「なんかさ~、気分が重いんだよね。」
「なんで?」
「う~ん、死んだ後どうなるかが分からないから。」
(オイオイなんだよいきなり)
「お釈迦様もそれが分かりたくて、王子様をやめてお坊さんになってまで考えたらしいよ。映画でも見たと思うけど。」
「そうか、禅の修行をしたらそれが分かるのかな。」
「分かる人もいるな。」
「死んだらどうなるんだろ。」
「仏になる。」
「自分はいなくなっちゃうんでしょ?」
「そんなのもともとないのと同じだ。海が仏だとしたら、一人一人、動物一匹一匹、ものの一つ一つが波のようなものだ。少しの間だけ、仏が自分や何かをするんだ。」
「あ~前に聞いた。俺も仏なんだよね。」
「そうだな。尊い仏だ。」
「嫌な人も仏なの?」
「みんなと仲良くできる人は自分が海にある波の一つだと分かっている人で、『俺が俺が』って言っている人は自分がたった一つの、短い間だけしかいない波ということが分かっていない人だ。でもどっちの人も死んだら自分が仏だったって分かるらしいよ。」
「仏にならないものはないの。」
「仏なんて名前がないから仏なのさ。無でも空でも愛でも神でもなんでもいい。要するに生まれる前にいたところに戻るだけだ。」
「天国とか地獄ってないんだよね。」
「ない。でもこれから生まれる人とかもう死んでしまった人とかには会えるかな。」
「そうか・・・じゃあなんで生まれてくるんだろう。」
「それは誰かとか何かがその人を必要としているからだ。お前の場合はパパとかママとかジイジとかがお前を見たかったから、お前と会って幸せになりたかったから生まれてきた。そしてお前が何か望むと、やっぱり誰かと出会ったり、生まれたりする。」
「じゃあ何も望んでいないとこの世に生まれてこないんだ?」
「そうだな。この世にある人を含めた全てのものは必ずそこにある理由があると思う。」
「でも死んだ後の事って死なないと分からないんじゃないの?」
「禅で悟れば、死ぬ前に死んだ後のことが分かるらしいね。」
「へぇ~。」
「死ぬ前に死んでみたい、死ぬ前に死んだときにどうなるか知りたいという、お釈迦様も思っていたことが禅の目的のようだ。分かるかどうか分からないけどね。」
「ふぅ~ん。あ、時間だ。ポケモン観ようっと!」
こんな短い時間に息子が理解したとは思いませんが、死ぬこと、生きること、何故生まれるか、何故死ぬか、根源の大疑団が生涯、彼を人として高めていってくれるものと思います。
息子への答えは老師の受け売りに多少色をつけただけです。
私如きに真理が分かったら、世の中、甘過ぎです(笑)。
とはいえ、私もその真理に近づけるよう、日々精進して参りたいと思います。
SD111021 碧洲齋