私も人間ですから、他人に腹が立つことはたびたびあります。
これは禅の修行、武芸の修行に関係ありません。
私は他人に対して怒りを覚えることは、能力的なことよりも道徳的なことです。
仕事ができないとかで苛立ったりはあまりしません(よほどお客さんや協力会社に迷惑をかけない限り、ですが)。
道徳的というものもそんなに難しく考える必要はありません。
単純に「己の欲せざることを他人に施すことなかれ。」これだけです。
(言うは易し、で私とて完全にできてはいません、と言っておきます。)
とはいえ、私は人の器量は文字通り「器」と考えています。
見栄えの美しい器、容量の大きい器、使い勝手の良い器、丈夫な器、などなど。
嫌な思いをしたときは、自分が適切でない器を用いてしまった結果と思うようにしています。
1Lしか入らない器に2Lを入れようとして、こぼしたら自分の責任です。
水飲みを楽しみたいのにバケツに入っていたら興ざめです。
水浴びをしたいのにコップに入った水を出されたら誰でも怒ります。
のどが渇いているのに水を杯に入れられて出されても怒るでしょう。
対人関係などはそんなモノではないでしょうか。
適材適所の器を用いる限りは他人と不用意な諍いはないものだと思っています。
ただ、誰でもちゃんと中には水が湛えられている、この事実を忘れないようにしたいところです。
それを心に留めておくことで「オレがオレが、私が私が」のガリガリのエゴ亡者になることを防ぐからです。
ふとそんなことを思ったのでした。
SD111020 碧洲齋