不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

禅々凄い

ブログにもよく書いていますが、私は禅宗仏教に深く帰依しています。

20年前の自分自身だったら冗談みたいな話ですが、結婚して子供ができて両親が他界し、仕事でも武芸でも色々起こると、やはり何かに救いを求めずにはいられません。

・・・と書くと語弊があるので補足しますが、禅宗というよりも仏教はもともと神様という概念がないので、仏に救いを求めるという表記は正しくありません。

仏教は修行の作法がやや宗教化したようなものだと考えられています。

故に普通、基督教などでは「信仰する」と言いますが、仏教に限っては正しい言い方は「帰依する」です。

このところ私の外国人の友人たちで禅に興味を持つ人が増えてきました。

欧米式の思考方法、宗教では解決できない何かがあると、よく言います。

ま、禅が解決法になるかどうか分かりませんが、何か見出す手段ではあるようです。

この禅、言うまでもなく中国からはるばるもたらされたものです。

何人もの貴い犠牲がありました。

そして日本人の誰もが、それは間違いなく中国からやってきたものだと、たとえ反中主義者でも言うはずです。

そして中国は中国で、それはやはり多くの僧侶が犠牲になりながら、日中間よりも遙かに遠い道のりを歩いてインドまで行き、仏教を持ち帰ってきました。

日本人僧よりも多くの犠牲があったはずです。

私はいつも、読経の際はこの気が遠くなるほどの距離、数え切れないほどの犠牲があって、ここにもたらされていることに感謝しつつ、読むように心がけています。

禅ですが、オリジナルはインドであっても、開花させたのは中国です。

しかし世界に広めたのは間違いなく日本です。

YAHOO USAで「zen buddhism」で検索すると8,950,000、中国語の発音「chan buddhism」で検索すると3,030,000という数字が出ます。

googleでも「zen buddhism」では4,830,000、「chan buddhism」では3,750,000という数字が出ます。

私の勝手な想像ですが、今後、中国人の仏教に関するワード、サイト数が日本のそれを凌駕するとは到底考えにくいように思います。

現在の中国人の性情を観るに、どうしてもそういう方向に進むとは思えないのです。

Wikipediaの英語ではZenの見出しだけで、Chanはありません。

英語の解説を読むと、さすがに中国の禅に関してはChánの発音で統一されていますが、ベトナム、韓国、欧米への普及の説明では全てZenになっています。

それだけ日本からの発信が多いと言うことでしょうか。

私は中国仏教をむやみに批難するつもりはありませんが、現代においては中国禅仏教というものは残念ながら往事の姿を全く留めていないと言ってよいと思います。

これは別段仏教に限らず、中国では宗教そのものが共産主義の元、ほとんど壊滅的な打撃を受けているので、再興したとしても昔の伝統を受け継いでいないと言っても差し支えないと思います。

そう考えると先進国で唯一のアジア国である日本の禅宗布教が世界的に見ていかに重要か分かろうというものです。

私も一日本人として、ささやかではありますが禅仏教や武芸を通じて世界平和のために勤めたいと思います。

SD110920 碧洲齋