不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

【 聖者と盗賊 】 1

序. 盗賊

盗賊は輪になって並んでいる手下を見渡し、それから輪の中心で跪いて震えている男を見下した。

最近、町で羽振りを利かせている、太った商人だった。彼は様々な方法で財を得ていた。

盗賊が一歩、男の前に出ると、取り囲んでいる手下から一斉に息をのむ音が聞こえた。

「お前の金を・・・渡して貰いたい。」

盗賊は先ほどまで激しく抵抗していたその商人に冷たく言い放った。

予想に反して静かな盗賊の声色に、商人はやや落ち着きを取り戻した。

そしてやおら懐から革で作られた重そうな財布を取り出し、僅かな間、名残惜しそうな視線を注いでからほこりっぽい地面に落とすと、地面から埃が舞った。

ぼろぼろになった商人の服は、袖の下からは商人の生傷がいくつも見えた。

盗賊はゆっくりとした動きで、革の財布をつまみ上げた。

「これはお前が1ヶ月働いて稼いだ金だ。しかし俺はそれを奪う。」

商人血がこびりついている顔を上げ、こびるような笑いをして、これ以上暴力をふるわないようにと請うた顔をした。

盗賊は冷たく無視して言った。

「だが、お前に力があれば、俺は奪うことも出来なかった。いや、力だけではないな・・・」

盗賊はおごる様子もなく、言葉を連ねた。

「この財布には5人の貧しい民に貸し付け、元金の3倍にもなる金と、それでも払えなかった者たちの娘と妻3人分を売った金が入っている。」

血とほこりまみれになった商人は卑しげな笑いを瞬時にして凍り付かせ、うつむいた。

「お前に聞く、俺とお前、どちらが卑しむべき人間だ?どちらが神に呪われるか?」

「・・・」

「お前は8人を不幸にしたが、俺はお前だけを不幸にした。どうだ、どちらが正しいのか?」

盗賊は強い視線を注いだまま静かに、しかし強く問いかけた。

商人はしばらく自分のぼろぼろになった衣の裾をひねり、所在なげに地面を見つめ、何に対してかつぶやいていたが、急に肩を震わせると苦しそうに泣き始めた。

盗賊は一瞥して部屋から出て行った。

「放してやれ」

手下たちは長いこと黙って商人を見つめていた。

「アンナ、いるか。」

盗賊が1軒の壊れかけた家の中に入り、声をかけた。

「おお、これは・・・」

「遅くなってすまなかった。」

中から一人の美しい女性が出てきた。彼女の夫ザカルは盗賊の元部下でしばらく真面目に勤めていたのだが、数年前から病に伏せっていた。

「おお、神様、どうかお頭様を天国にお導きください。その代わりこの私を地獄に落としてください。」

元部下はアンナと結ばれてから盗賊を止め、盗賊からもらったなにがしの金で商売をしていた。

しかし、その後すぐに病にかかり、アンナは薬を買う為に昼夜と働き、足りなくなってくると体を売るようになった。

それでも元部下を変わりなく愛し、健気に生きる姿を見て、盗賊は心が痛んだ。

盗賊は、そっと1枚の金貨を女に握らせた。

「そんな無理なことを言って、神様を困らせるものではない。それより、これでザカルの薬を買ってあげなさい。さっき、角の薬屋で新しい薬が届いたと言っていた。私の名前を言えば安く買えるはずだから。」

アンナは涙ながらに何か言っているようだったが、盗賊には分からなかった。

奥で男が苦しそうに咳をしているのを聞くと、そっと女に薬を買いに行くよう言った。

盗賊はいつものように盗んだ分け前を手下に配った後、特に貧しい家々の中に声をかけながら金を与えて廻り、神殿の入り口までやってきた。

盗賊は手下と同じく、金持ちから盗った革袋から金貨1枚を自分の為に取り出しただけだった。

だから手下も金貨1枚の報酬に文句も言わない。

手下の中には多すぎるといって細かくしてもらい、手下が気にかけている家々に少しずつ与えたりすることもあった。

だからこういう時代とはいえ、心の美しい若者たちを盗みの片棒を担がせるのは盗賊にとってとても心苦しかった。

1. 神殿

神殿には毎日多くの人が訪れ、祈りや喜捨をする。特に夕方の神殿はあわただしい。

仕事を終えた人たちが喜捨に来るからだった。

だから盗賊が大金を持って歩いていても誰からも怪しまれなかった。

盗賊とその手下は喜捨と決めた金は決して途中で自分の為に使うことはしなかった。

喜捨の金-それは自分たちが触れるにはあまりにも清らかなものだと感じているからだった。

盗賊が喜捨と言ったら、その時点で盗賊一味の金ではないと教えられてきた。

手下は誰もがそう信じていた。それが盗賊の密かな誇りでもあった。

夕暮れ時、盗賊は喜捨に行った。

「そこの者、待ちなさい。」

神殿から出てきたその時、一つの声に呼び止められた。盗賊はぎくりとして立ち止まった。

人の通りであわただしい、神殿の入り口近くに、陰のようにひっそりとした小さな一角があった。

そして、そこに一人の男が静かに座っていた。

たぶんまだ30歳ぐらいだろうか、驚くことに貧しい身なりながら、彼はラビであることが分かった。

盗賊はこんなに若いラビは見たことがなかった。

その若いラビは年の割には苦行のせいで、やや老けて見えたが、長い髪の下からのぞかせる瞳の色は何ともいえない暖かな色を放っていた。

そしてその雰囲気もシナゴークで説教をする権威を笠に着るラビとは全く異なり、まるで春がそのまま佇んでいるような、そんな雰囲気をまとったラビだった。

彼は二人の弟子を従えていた。

「こちらに来なさい。」

盗賊は指図されるのは好きではなかったが、なぜかそのラビに従い、そばに行った。

盗賊はラビの前で立ちつくし、かけるべき言葉も見つからず落ち着かなかったが、ラビは昔からの己の友のように話しかけた。

「しばらく私と喜捨をする人々を見守ろう。」

何がそうさせるのだろうか、何か全てを優しく包み込むような声色だった。

何故自分に声をかけたのか、何故喜捨をする人々を眺めるのか、盗賊は分からなかったが、何とはなしに興味を引いた。

盗賊は人々が喜捨をする姿をじっくり見るのは初めてだった。

盗んできた財貨の一部を喜捨するのだ、命がけである。人が少ない時など、走って賽銭箱まで行き、投げ捨てるように喜捨して走り去ることもしばしばあった。

人が多い時であっても、いつも心臓は高鳴っていた。

だから他の人がどのように喜捨するのかなど、考えたこともなかった。

金持ち、貧乏人、役人、兵士、商人、農民、乞食、様々な人がひっきりなしに、ラビたちと盗賊の前を通り過ぎ、喜捨していった。

彼らが手にする喜捨の大きさも様々だった。

金持ちがはち切れそうな大きい革袋から無造作に金貨をつかみ投げ入れる姿、貧乏人がすり切れそうな財布から小銭1枚2枚を惜しげに投げ入れる姿、真摯に祈る者の姿、喜捨を投げるだけで去る者の姿、不幸があったのか、いつまでも祈り続ける者の姿。

そんな人を見つけては若いラビはそっと近寄り、その者たちに語りかけ、彼らは幾度かうなずくと涙をぬぐいながら、多くは感謝をして去っていったのであった。

「師よ、そろそろお時間です」

剣を腰に差した若い方の弟子がそっとラビに言った。いつの間にか日は大きく傾いていた。

そして人通りもまばらになっていた。

ラビは答えず、数メートル先にある神殿に続く入り口の石畳に黙然と視線を落としていた。

夜のとばりが迫ってきた。

神殿に通じる大通りの露天商たちはにわかに店をたたみ、行き交う人々が絶えかけた頃、杖を持ち、不自由そうな右足を引いて、神殿に昇ってくる一人の老婆がいた。

粗末な身なりから、老婆は限りなく貧しい暮らしをしていることが伺えた。

腰の荒縄に未亡人であることの印がぶら下がっていた。

1.2段昇る毎に息を整え、いらいらするほど遅い足で、神殿の入り口にたどり着くと、麻で編んだ粗末な財布を取り出し、逆さに振った。

そこには数枚分の小銭しか出てこなかったが、老婆は恭しく財布の中身の全てを喜捨して、しばらく祈り続けてからまたゆっくりと去っていった。

「見よ。」

ラビはようやく口を開いた。

「あの貧しい、年老いたやもめは,誰よりも多くを入れた。 今日、喜捨した者はみな、自分のあり余る中から捧げたが,彼女は貧しいのに暮らしのために持っていたものすべてを差し出したからだ。」

「・・・」

弟子たちはとまどいの色を隠せずに互いに顔を見合わせた。

「あの貧しい老婆がですが。」

「あらゆる貧欲に対してよくよく警戒しなさい。たとえたくさんの物を持っていても、人の命は、持ち物には困らないのだ。」

盗賊はいつも喜捨をすればするほどあの世でもいい生活が出来ると、脅してやまない神殿やシナゴークのラビたちに反感を持っていた。それに較べると、この若いラビには真実が宿っていた。

「・・・ラビよ、であれば我々は何を礎にすればよろしいのでしょうか。」

「ひたすら祈り、人々にして欲しいと、あなたが望むことを、人々にもその通りにしなさい。それだけが、お前たちにできる正しい行ないである。ただ、よく覚えておきなさい。自らの死後の為に祈る者と、見返りの為に愛する者は、地獄に近い者である。」

弟子たちは肩を落とし、ため息をついた。

盗賊はその意味をかみしめるように長い間、その不思議な青年ラビの横顔を見つめた。

更にしばらくすると、夕闇に紛れて小走りで神殿にやってくる人影が見えてきた。

一人の若く美しい女性だった。美しい衣装を身にまとっていたが、漂ってくる強い香水とあでやかな化粧で、彼女が娼婦であることが分かった。

今朝訪れた元部下の妻、アンナだった。

「神殿を汚す者ではないか・・・」

今度は年上の弟子が吐き捨てるように言った。

盗賊はかばうため何か言いかけたが、ラビが弟子をたしなめた。

「人々の間で尊ばれる者こそが、神の御前では忌み嫌われるのだ。」

アンナは喜捨箱の前まで来ると、黄金色に光る金貨を投げ入れた。

「あっ!」

盗賊は小さく叫んでしまった。アンナはせっかく今朝、盗賊が与えた貴重な金貨を喜捨してしまったのだった。

そして、彼女は長いこと身を丸めて震えながら祈り、そして立ち上がった。

その後、疲れたように立ち上がり、神殿の階段を下りた時、アンナはラビたちに気付いた。

驚いて振り向いた女の化粧は涙で落ちかかっていた。

「女よ」

ラビは言った。

女はおびえるような視線を一行に向けた。

盗賊は離れて暗がりから見ていた。

彼女のこのような姿は正面切って見ることができなかった。

アンナは卑しい生業の自分が、神聖な場所にいることが聖職者に見つかれば、どのような仕打ちをされるか知っているかのようだった。

だが、ラビはそんなことを気にも留めず、優しく言った。

「あなたは今日、ここに来た者の中で一番尊い喜捨をした。だから神はあなたを許す。帰りなさい、そしてなるべく罪を重ねないようにしなさい。」

アンナははじめ、この青年ラビが何を言っているのか理解できなかった。

普通、聖職者から売春婦には、憎しみと軽蔑を込めた激しい罵詈雑言が吐き出されるはずだった。

しかし彼はそうではなかった。

それを理解すると一瞬にして、緊張の糸が切れたかのように大理石の床に座り込んだ。

そしてラビの言った言葉が彼女の予想を裏切り、厳しい非難や罵り、嘲りでないと分かると、美しい瞳に涙があふれた。

「おお、ラビ。・・・私は、私は愛する夫の為、地獄に堕ちてもいいのです。夫は・・・」

若いラビは娼婦の言葉を手で優しく制止した。

そしてごく小さいため息を一つつき、立ち上がると跪いている娼婦の頭に手を置いた。

そして何か祈りの言葉を唱えた。遠くにいた盗賊にはよく聞こえなかった。

しかしアンナは何かを感じたのだろう。涙をぬぐって、言った。

「あなたを信じます。」

彼女は何度もラビに跪き、足早に去っていった。

盗賊は神が恐ろしいことだけは知っていた。

何か律法に逆らうたびに人間に対して、飢饉や災害、超自然的な天罰を下してきたことを知っていた。

神とは怒りの神だった。

だから盗賊は神に見捨てられた人々にいつも施しをしてきた。

ユダヤの教えでは病人や娼婦、障害者らは神の怒りに触れた者として忌み嫌われ、郊外に隔離されていたが、盗賊は神に逆らう行為だと知りつつ、施しを続けてきた。そうせずにはいられない何かがあった。

「彼女たちはなぜ、人が多い時に行き、祈る姿を見せなかったのですか。老婆は人に助けられ神殿に昇れたでしょうし、娼婦は祈る姿を見せることによって人々は彼女を卑しまなくなるでしょうに。」

盗賊は皮肉を込めて言った。そう言わずにはいられないほど、彼は神にやるせない怒りを感じていた。

近頃は、神殿の前で毎日、人目をはばからずに大泣きしたり、大芝居を打って神に許しを請うまねをしたりする恥知らずが何人もいる。

そういう連中は、芝居が終わり、運が良く神官から下賜する褒美を手にすると、娼婦や酒を買いに行くことを知っていた。

盗賊ではあるが、彼はそういう行いに人と神にも怒りを感じ続けてきた。

「誠に神を恐れ敬う者は、祈りを誰にも見られないようにするものだ。老婆は神との関係に何人も間に挟ませたくなかったのだ。娼婦は己の罪をよく知っている。娼婦は人に罪を許してもらおうとしたのではない、神に己の醜き罪を晒し、許しを請うたのだ。神はあの老婆と娼婦のようにおおよそ、自分を低くする者は高くされ、自分を高くする者は低くされるであろう。」

盗賊は言葉を失った。

ラビは弟子たちに振り向いていった。

「自分の義を、見られる為に人の前で行わないように、注意しなさい。」

若い方の弟子がたまりかねたように問いを発した。

「ですが、あの者たちは毎日神殿を訪れていますが、幸薄き者ではありませんか。神は彼女たちを愛しておられないのですか。」

「祈ることで己を満たされることがまごうなきものであれば、なんと祈りのさもしいことか。それでは商いと何ら変わらぬではないか。自分を愛してくれる者を愛したからとて、どれほどの手柄になろうか。罪人でさえ、自分を愛してくれる者を愛しているというのに。」

盗賊は盗んだ金を貧しき者たちに施した時、名誉や声名を求めはしなかったかと省み、自らがあの貧しい老婆や娼婦にも劣る自分を知り、恥ずかしさのあまり逃げ出したくなった。

そんなことを知ってか知らずか、ラビは誰にともなく呟くように語りかけた。

「人は多くのことに心を配り、思い患い過ぎている。真に無くてはならぬものはそう多くはないはずなのに。」

盗賊はしばらく黙って、この若いラビの横顔を見つめた。

(つづく)

SD110910 碧洲齋