基督教に関して、私が大きな影響を受けた方が二人います。
特に遠藤周作の作品は極めて秀逸でした。
日本人に対して完璧なほど、基督教のドグマを説明できていると思います。
海外では賞賛と批判が半々だそうですが、日本人に説明するのであればこれ以上優れた基督教文学はないでしょうか。
希望も何もなく、暗すぎると言われることもあるようですが、例えば「イエスの生涯」「キリストの誕生」はイエス・キリストの実像に迫れる数少ない書籍だと信じています。
私の基督教観はほとんど、遠藤文学から来ています。
聖書の中で気になる登場人物がいます。
それはイエス・キリストと一緒に処刑された罪人です。
イエス・キリストとその罪人たちのやりとりは、ルカ福音書にこんな風に記されています。
十字架にかけられた犯罪人のひとりが、「あなたはキリストではないか。それなら、自分を救い、また我々も救ってみよ」と、イエスに悪口を言いつづけた。
もうひとりは、それをたしなめて言った、「おまえは同じ刑を受けていながら、神を恐れないのか。お互は自分のやった事のむくいを受けているのだから、こうなったのは当然だ。しかし、このかたは何も悪いことをしたのではない」。
そして言った、「イエスよ、あなたが御国の権威をもっておいでになる時には、私を思い出してください」。
イエスは言われた、「よく言っておくが、あなたはきょう、私と一緒に天国にいるであろう」。
この罪人は盗賊とか言われていますが、正確には政治犯です。
民事上、もしくは重大犯罪ではない場合の処刑は石打ち刑だったそうです。
革命を起こそうとしたり、政治家を殺そうとした場合、及び重大犯罪などは文字通り磔だったそうです。
この事実を知ったのは少し後なのですが、私はこのやりとりがとても気になっていました。
政治家や革命家の類なら、きっと素晴らしい理想の持ち主だったのかも知れません。
本当に盗賊だったら、もしかすると義賊のような人だったのかも知れません。
私は昔から物書きが好きで、時折物語なども書いたりしましたが、その中で唯一、聖書に関した物語を書いたものがあります。
それはこの盗賊がどんな人物だったのか、勝手な想像をイエス・キリストを交えながら書いたものです。
書いたのは多分、10年ぐらい前でしょうか。
旧HPにも掲載していましたが、ちょうど今、古いデータを整理していたら見つけました。
改めて読んでみるとやはり、自分の基督教観がよく盛り込まれていると思ったので、多少手直しして紹介したいと思います。
なにぶん、さらさらっと、一気に書いたものですから、プロどころかアマチュア作家にも至りませんが、碧洲齋が基督教観を通じて、人生ではこんな事を大切にしているんだなと、感じて頂ければと思います。
次回から分割してご紹介します。
SD110910 碧洲齋