高校生時分、やっと手に入れた孫臏兵法を読んで、一番衝撃的だった部分がこれです。
白文 :威王曰、我強敵弱、我衆敵寡、用之奈何。
読下文:威王曰く、我強くして敵弱し、我衆(おお)くして敵寡なし、之用ること奈何(いかん)。
意訳文:威王は尋ねました。では我が軍は強く敵軍は弱く、我が軍は多勢で敵軍は寡勢、この場合の用兵から教えてくれ。
普通、誰だって1を以て10を倒す秘術を聞き出したいものです。
寡を以て衆を撃つ術を知りたいと思うのが人情です。
しかしこの斉の威王、大軍を以て弱小な敵軍に当る場合を訊いています。
私はこの質問を読んだとき、この威王の目の付け処、モノの考え方に感銘を受けました。
日本では常に寡を以て多を撃つ戦術に美徳を感じ、不本意ながら日清、日露戦争では実際にそれで勝ってしまいました。
しかし大東亜戦争では他に色々な問題があったにせよ、多勢に寡勢で負けています。
本来、戦術的に寡勢であってはならないのです。
アタマのいい艦長が座乗している戦艦1隻が、敵の戦艦10隻を撃沈する様はドラマにはなりますが、現実そんなバクチを本気でしようと思う国に絶対、勝利はありません。
逆説的ですが、それを避けようとした手堅い作戦の結果が日露戦争の海戦であり、バクチをしようとして散々ひどい負け方をしたのが大東亜戦争の太平洋各海戦でした。
味方が10万、敵が1万、これは10万が勝つに決まっていますが、問題はそんなところではなく、いかに味方の犠牲を少なくするか、そこに焦点が当てられるのです。
10万の将兵たちは自分たちが勝つのは分かってはいても、逆に誰もが死にたくないと思います。
だからたとえ10万であっても犠牲を最小限にする、そこに焦点を当てた威王は相当英明な君主と言えます。
実際、その問いを受けた孫臏もさるもので、感心しています。以下、孫臏の答え。
白文 :孫子再拝曰、明王之問。夫衆且強、猶問用之、則安国之道也。命之曰贊師。毀卒乱行、以順其志、則必戦矣。
読下文:孫子再拝して曰く、之明王の問なるかな。夫れ衆くして且つ強きに、猶之を用うるを問うは、則ち国を安んずるの道也。之を命して贊師と曰う。卒を毀ち行を乱し、以て其の志を順ならしめば、必ずや戦わん。
意訳文:孫子は再拝して言った。さすがこれは英明な王の問いです。我の強大さに慢心せず、慎重に策を巡らせてこそ、国家は安泰と申すものです。さて、この場合は「贊師」つまり誘い出しの策を取ります。我が軍の隊列をわざと乱して敵の作戦を手助けするふりをすれば、必ずや先方から仕掛けて参りましょう。そこをすかさず撃てばよろしい。
孫臏が礼拝までして感心しているという記述があるのは孫臏兵法の中ではここだけです。
つまりここが戦術の重要なポイントだと私は思いました。
そして以後、このコンセプトは私の武芸における考え方にもなっています。
奇抜な裏技に頼るでもなく、正攻法だけに執着するでもなく、全部用意した上で相手を油断させる。
こちらは万全の準備をして相手を最大限に不利にさせる。
しかも相手が気付かないほど自然に。
簡単に倒すように見えるような技は、得てしてその前に小さな周到な用意がたくさん為されているものです。
長くなってしまったので、続きは次ということで。
SD110831 碧洲齋