翌朝は5時に起床してテントを撤収、5時半には出発。
6時に不動寺に到着しました。
不動寺では毎朝6時に朝課(朝の読経など)があります。
私は大抵朝6時に到着するようにしています。
この不動寺は黄檗宗という禅宗の寺ですが、基本ここでは葬儀などはほとんど行われません。
また、禅宗寺院でありながら、山岳信仰の伝統も色濃く残っていて、普通、真言宗や修験道でしか行われない護摩祈祷も行われます(要予約)。
一方で、黄檗宗の寺院としてはかつては黒瀧山派と呼ばれたこともあるので、準本山クラスの規模を誇り、黄檗宗風の精進料理、普茶料理なども食べることができます(要予約)。
故に寺と言ってもそこいらの町寺とは訳が違います。修行のための寺でした。
ちなみに住職は非常に話しやすい方ですので、時間があるときはいつでも話し相手になってくれます。
また、不動寺に着いたらまず最初に鐘楼に登って鐘を突いてください。
不動寺では参拝客は自由に鐘を突くことができます。
ちなみに参拝後には鐘は突かないでください。
通常それは葬儀の後などに行われるそうです。
息子にもいつものように鐘を突かせました。
その後、息子を持ち上げて、鐘の内側の中心に位置させました。
ちょうど音が消えてなくなるところです。
周囲では非常に大きな音がしていますが、中心の一点だけは静かなのです。
仕事のこと、家庭のこと、武芸のこと、世の中のこと、それらは鐘から発している大音響のようなものです。
しかし本来の自分、本当の自分は鐘の中心のように、元来静けさの中に佇んでいるものです。
これは以前、住職から教えてもらったことです。
息子にも諭しました。
息子共々朝課に参加しました。
黄檗宗の場合は念仏禅と言って、さまざまな楽器を用いて読経します。
また、読経も中国語読みです。私も折あらば中国語読みの般若心経を覚えたいと思います。
不動寺を訪れたい方はぜひ、この時間がお勧めです。
読経後、住職から仰せつかったのは先日行われた竜神祭りの後片付け。
不動堂と本堂の間にある川(といっても水量の少ない滝から流れている水が少しあるだけで、涸谷)にかかっている丸太類やブロックを片付けること。
一番重いもので1本40キロはありそうなのが、数本ありました。
私1人でも持てるには持てますが、息子に寺のために作務をさせることの意義を教えるため、敢えて2人で行いました。
息子は歯を食いしばり、全身を使って丸太の片方を持ち上げ、台車に乗せます。
また、角材などが涸谷に落ちると、滑りやすいにもかかわらず下まで降りて取りに行きます。
息子の様子を見るに、息子は寺や仏に対して何かすることに何らかの意義を感じているようです。
そしてまた登山の準備。
この山に関しては息子は幾度か登っていますので、経験はあるのですが、やはり今回も怖いようで、何度も鎖場の数などを聞いてきました。
昨日もそうでしたが、私の登山の時、一番やっかいなのが蜘蛛の巣。
蜘蛛の巣を取り払いながら登山することが多いのです。
まあ、いつもそんな山登りをしていると言うことでしょうか。
基本的に私の登山は修行のためです。
楽しむという要素はもちろんありますが、順位としては全く高くありません。
片付けを終えて8時半に寺を出立。
あえて今回は朝食を採らずに登りました。
途中までは普通の登山道ですが、馬の背と呼ばれる巨大な一枚岩の尾根の手前から険しくなってきます。
この馬の背は歩けるところの幅が1メートルもなく、平均50センチ程度、狭いと30センチを切ります。
故に高所恐怖症の方は登れません。
馬の背
また、数年前の台風の後は登山道の一部が崩落し、岩肌に鎖を打ち付け、少しばかりの足場が彫られているところを登らねばなりません。
台風の災害後に一番の難関になった鎖場。
以前と違って中高年の登山者には少々キツイかも知れません。
馬の背最後の難関は垂直に伸びる鉄ばしご。
こんな感じです。
刃物のように鋭く薄くなったところに(刃物で言うと刃の部分)本当に垂直な梯子が打ち付けてあり、それを7-8メートルほど登ります。
梯子以外には全く手がかりはありませんし、梯子の登り口も2畳程度の広さしかないので、落ちたら山の下まで落ち続けてしまいます。
息子は全身全霊を傾けて1段1段、1歩1歩進んでいました。
垂直鉄ばしごが終わり、少しきつい傾斜の道を上ると、後は比較的緩やかな尾根沿いの道になります。
そしてすぐに見晴台と呼ばれるとんがった岩場に出ます。
樹木もないので文字通り見晴らしが良く、周囲の山並みと不動寺側と反対側の集落がよく見えます。
見晴台の岩の上に登れるともっと良いのですが、足場がかなり悪いので、自信のない方は止めておきましょう。
岩の上は概ね畳1枚程度の広さと石の祠があります。
山から見た不動寺
休憩後、さらに奥にある観音岩を目指します。
いったん、来た道を20mほど戻り、観音岩の分岐に進みます。
見晴台を迂回した感じになるので、その辺りの道は非常に狭く、滑りやすいのですが、それ以外は普通の尾根沿いの登山道で歩きやすくなっています。
観音岩は文字通り山頂を形成している1個の岩ですが、北面には多くの仏像が安置されています。
これは何か祈願成就したい人が背負って運んできたそうです。
鉄ばしごもない時代、どうやって運んできたのでしょうか。
どんな願いや思いがあったのでしょうか。
私には分かりませんが、今の世の日本人よりは切実だった気がします。
息子にも「これを運んだ人たちはどんな願い事があったんだろうね」と言いましたが、困難を極める登山の上、こんなに重たい仏像を運び上げた人々の願いの強さを感じたようでした。
この山には道中にいくつもの石の祠があります。
修験道の名残だそうです。
今回は特に、入念に全ての祠に手を合わせました。
そしてこの仏像群にはお供え物をして線香を焚き、読経しました。
観音岩の仏像たち。
その上が山頂です。
山頂にもたったひとつ仏像が残っています。
多分、昔はもっとあったのだと思いますが、今はひとつを除いて台座の窪みだけを残して全てなくなってしまっています。
山頂の仏像
そして今回最大のイベント、散骨を行いました。
私と12年8ヶ月共に暮らした愛犬エルの遺骨です。
念のために注意しておきますと、人の骨ではありませんが、やはり勝手な散骨は慎みたいところです。
不動寺住職にその旨を伝え、お布施なり作務なりをして、通った祠全てに手を合わせ、仏像群にはちょっとしたお供えや線香を焚きたいものです(火に注意!)。
仏や山の神に対して十分な礼儀を尽くしたいものです。
車内で息子はおもしろいことを言っていました。
愛犬の骨壺が車の振動に合わせてカタカタ鳴るんですね。
それを聞いた息子は
「ホラ、エルはきっとみんなでお出かけしているから喜んでいるんだよ。」
と言っていました。
本当にそう思います。
友人のアドバイス通りにビニール袋に入れて骨をナイフの柄で細かくなるまで叩きました。
そして散骨。
「エル君さよなら~。」
「エル、またね~。」
昨日と同じく、本日も山には私と息子しかいません。
しかしどうでしょう。
山川草木悉皆成仏です。
この見渡す限りの大自然や私たちも仏の働きです。
愛犬の死も仏の働き、あり方のひとつです。
山に登ってこのように満たされたのは久しぶりのような気がします。
息子も明るい表情でした。
息子には分かっているのでしょう。
帰路は別の道を行くことにしました。
往路は短いのですが、少々危険なため、久しぶりに反対側の集落を通るコースにしました。
しかし、これまた非常に難関なコースでした。
全然楽ではありませんでした。
かなり急勾配の尾根伝いを降りたり、岩肌だけの尾根を下ったり、最後は道とは呼べぬかなりの急勾配の登山道を下りました。
岩肌だけの尾根を伝っている息子。鎖もありません。
一番下の沢に着いた頃は私も息子もくたくたでした。
そして空腹感。
息子は持っていたナッツを水も飲まずにバリバリと食べていました。
今はちょうどラマダンの季節です。
日本人も時にはこのような空腹感を知った方がいいでしょう。
息子には地球には飢えのために死ぬ子供が何百万人もいると言いました。
極度の疲労と極度の空腹、これも体験させたかった。
集落を通り、馬の背の手前まで未舗装の車道を歩いたのですが、勾配があるため、息子はもう自力では上がれず。
私は息子の手を引き、「あとちょっと」と言いながら登らせました。
不動寺とは反対側から見える馬の背
馬の背の真下にある巨岩。 岩の割れ目にはやはり仏像が安置されていました。
しかし現金なもので、峠を越えると不動寺までは小走りで駆け下りていきました。
(少々長くなったので続く・・・)
SD110817 碧洲齋