不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

仏のあるところ

何かのきっかけで仏から離れて久しく、

普通に生きたら仏に還るにもまだ遠く、

今、そんな人生の半ばにいる私。

仏からやってきたばかりの自分の写真を見た。

仏から別れた自分を預かってくれた人たちを見た。

私に対して自分がない、そういう人たちだった。

その人たちに対して私がない、そういう笑顔を私はしていた。

今、その人たちはまた、仏に還っていった。

私もまた、仏から預かりものをしている。

彼に対して私があろうはずがない。

何に対しても私などただの妄想に過ぎない。

彼の笑顔に自分があろうはずがない。

彼の笑顔はそれになり尽し切っているだけだ。

仏は探して見つかるものではなく、解いて解けるものでもない。

仏から離れたと思っているだけ。

仏に戻れると信じているだけ。

仏はそういうものでは決してない。

まさにそれは今、ここにある。ここにだけある。

その無限にある。

そして私はそれに気付いていないだけ。

「ある」とか「ない」とかではない。

それらが表裏に記されている硬貨そのものに価値があるように、

仏も私やあなた、生と死を超えたところにある。

私という幻想が始まる前で、私という幻想が終わった後のところにある。

いつもある、どこにでもある。

生老病死は単なるさいころの目。

さいころにこそ価値がある。

そんなものだ、仏とは。

SD110602 碧洲齋