あ、別に北斗の拳の話ではないんです。(ゴメンナサイ)
中国人がよく言う、「中国4000年(もしくは5000年)の歴史」いうヤツです。
私は高校時代から中国史・中国哲学が非常に好きで没頭していましたが、
さすがにこのコトバだけは額面通り受け入れられませんでした。
例えば日本人が「京都1200年の歴史」と言えば、
それは平安時代から今に至るまでの伝統の変遷や積み重ねを指します。
幕末に荒廃したときや名前の由来主である天皇自身が東京に行ってしまってからも含まれます。
当たり前ですね。
また「○○時代」というのも前の流れを汲んでいるとか、支流だとか、ともあれ断絶した、
全く新しいモノだという認識を持つ方は少ないと思います。
江戸時代と明治時代という、一見、物事の価値観が180度逆になってしまったような変化ですら、
やはり日本人の連綿としたつながりを感じることができます。
そもそも日本の「王朝」は一度も交替してませんから、文字通り神話伝説の時代からずっと続いています。
現在の今上陛下は125代です。
中国ではここがミソです。
中国では王朝が変わるたびに皇帝がすげ変わるのです。
血統も変わりますし、前の王朝は大抵、ケチョンケチョンに叩かれます。
現王朝は仮面ライダー、前王朝はショッカー軍団、みたいな感じです。
理由は簡単。前の王朝が悪くないと、今の王朝の創設した意義がなくなるからです。
中国では伝統的に新しい王朝が前の王朝の歴史を記録編纂します。
大体、新しい王朝になって50-100年ぐらい空けるそうです。
これはなかなか賢い方法です。
交代後すぐ前王朝史を書くと、血の気の多い中国人はあることないこと冷静さを失って書き連ね、
客観的な資料たり得なくなるからだそうです。
前王朝はむろん歴史編纂は勝者サイドで書かれていますから徹底的に悪役ですが、
どの程度前王朝の功績を入れるかというのが現王朝の度量の広さになるかという指標にもなります。
また、王朝史をいい加減に書くと、これまた書いた王朝の性格がばれます。
モンゴル王朝が書いた前王朝である宋史は、膨大な量であるにも関わらず、
ちょっとエエ加減なのはさすがモンゴル人といったところ。
しかしその次、元王朝を記した明王朝の手に成る「元史」なんかは王朝史で最悪のものと評価されています。
王朝成立後、すぐ、しかも短期間で編纂されたためです。
蛮族支配が屈辱的だったからでしょう。
まあ、それはよく理解しますが、あまりに酷いので、これは20世紀、
中華民国になってから「新元史」として再編集されました。
ちなみに最後の王朝、清王朝が書いた「明史」は非常に評価が高く、
中国史が好きな人だったら幾つか読んでいる人物伝などもここから訳出されているものが多いようです。
当然、現在の共産党王朝、いえ、中華人民共和国政府は「清史」を編纂しています。
清王朝は歴代王朝の中では伝説的な王朝を除くと最優秀な王朝です。
名君もたくさんいますし、文学的にも軍事的にも秀逸でした。
しかし言っておきますが、これは満州民族の王朝です。
資料点数は歴代王朝では最大であることは言うまでもありません。
戦前からチョロチョロ始まっていましたが、公式に編纂が始まったのは2002年、
一応予定では再来年、2013年の完成を予定しているそうです。
今回は史上初!DVDとかにもなるそうです。もっとも、「清史」は台湾政府も作っています。
さてさて、コイツのできばえはどんなモノになるでしょうか。色々な意味で楽しみです。
日本人が「○千年の歴史」と言った場合、先人たちから受け継いだものを守り発展させていくという意味があります。
親から子へ子から孫へ、というやつです。そこに伝統的な場所やモノがあれば一層OK。
しかし中国の場合、「○千年の歴史」というのは前の住人を暴力で追いやって強奪した家を指しているように思います。
奪った人たちは前の住人と関係ないばかりか、争い戦った相手です。
そして奪った家も自分たちの好みに合わせてコロコロ変えていきます。
そういう意味での「中国○千年の歴史」だと思います。
ま、草の根レベルでは確かに中国にもまだ、文芸や武芸や伝統芸能などで古いものもありますが、
これはひとえにその家族や地域が大切にしてきたものです。
そしてそれらも今の世の中では金儲けのネタにされつつあるものが増えています。
これは本当に悲しむべきものです。
私は中国人の現在の民度の低さを現在の共産党政権だけの責任にしたくないですが、
実際、清王朝末期にあって、優れた軍人や政治家もいました。
日清戦争当時、大日本帝国海軍連合艦隊司令長官・伊東祐亨提督と勇姿を決した
大清帝国北洋水師司令長官・丁汝昌提督はなかなか人徳のある人だと思いますし、
彼の部下で主力艦の艦長たちも皆、一角の人物だったと言われています。
そこから現在の共産党政権を経て、今の中国人の有り様を見ると、やはり落胆し、失望します。
私は懐古主義でも理想主義でもありませんが、せめて平安時代、日本人たちが命をかけて学びに行きたくなる国だった中国の細片でも鮮やかに甦ってくれたら、それは本当に嬉しいことです。
P.S. 日清戦争の黄海海戦後、伊東司令長官が丁司令長官に送った手紙が私のサイトに紹介されています。
私は近年にない名文だと思っています。
残念ながらこれを受け取った丁司令長官は涙を流して感謝して、手紙に添えられた贈り物は丁重に返却し、敗北の責任を取って自殺しました。
http://fudoan.cdx.jp/sanbun/sanbun_index.htm#hokuyo
今の中国にこういう義士はまだいるのでしょうか・・・。
生粋のサムライが近代軍艦に乗って戦い、そして打ち勝ったときのあり方の典型だと思います。
SD110613 碧洲齋