今朝は早朝坐禅会でした。
帰宅すると息子と妻は外出。
私は夕刻の坐禅会まで庭の手入れをしようと思いました。
自宅の塀からはみ出ている枝葉を切り落とし、届かないところは先が長くなっている高枝伐り?で伐採。あっという間に45Lゴミ袋で6袋。
昨年枯れてしまった庭の中央にあった白樺の枝も伐採しました。
枯れてもしばらく切る気がせず、そのままにしていましたが、ここにきて切ることにしました。
妻からはいつ切るのだと矢のような催促されていましたが、こればかりはやはりこの家の歴史と共にいた自分には「はいそうですか」とは言えないところ。
庭の大きな樹木は全て、前の家から根回ししてわざわざ運ばれてきたものです。
思い入れがたくさんあるのです。
理解してくれるとは思いませんでしたが、少しは察して欲しかったところです。
ましてや父が他界してからほとんど私しか庭の手入れをしていません。
思い入れはなおさらです。
全部一度に切るわけにはいきませんから、とりあえず上の方だけ。幹に近いところ以外は全て切り落としました。
中には完全に腐っていたところもあり、妻の催促もあながち間違ってはいません。
切り落とすと・・・まるで自宅ではないような雰囲気になってしまいました。
今までは自宅の芝生の上を覆っていた白樺の枝葉が全くなくなり、青空が見えるかと思いきや、電線がはっきりと見えるようになり、なおさら見苦しくなりました。
これは伐るしか方法がなかったのは分かってはいますが、切ってかなり後悔しています。
これから少しずつ幹も切っていかねばならないでしょう。
命あるものはいずれ死んでいく定めにあることは、「銀河鉄道999」を見た小学校3年生の時からよくよく理解していたことではありますが、思い出の品が減ると言うことに平然とはしていられません。
この白樺が完全になくなったら、多分、庭の芝生を入れ替えねばならないと思います。
来年の春頃でしょうか。
ただ、ありがたいことに白樺と他にほとん後枯れかけた樹木を1本切っても、庭の緑は十分豊かなままです。
最近になって、庭の手入れをしたり、息子が庭で遊んでいるのを観ていると、両親がある程度の広い庭を維持したいという理由が分かってきたように思います。
今日も感謝と共に庭掃除をすることができました。
P.S.庭の桜2本の枝も切ったのですが、いつもは見え始めるアメリカシロヒトリの巣が見あたりません。
まだ早いのか、本当に少ないのか。
いたらいたでまた、うんざりしながら駆除しますが、いなかったらいなかったで異常気象、天変地異の前触れではないかとか考えてしまいそうです。
やれやれ人間も孫悟空と変わらないな。
SD110612