昨日の稽古は合計6人。
私と同じ道場の同門アメリカ人2名、出稽古の外国人が3名。
出稽古の3人は、
3人は笑いながら「みんな離散しているユダヤ人だね、ハッハッハッ」と笑っていましたが、そこは笑う場所ではないでしょうとツッコミたくなりました。
ユダヤ人を見ていつも思うことがあります。
ユダヤ人の方々は確かに頭がよいなと思うことしばしば。
稽古の手法にしても、なかなか実践的な人が多いようです。
例えば技の稽古をするとき、日本や多くの国々ではあまりやらないような左右両方をよくやっています。
(実は私も左右両方やることが多いですが)
ものの考え方も実際的で、言ってみればドライな感じを受けることがしばしばあります。
ユダヤ人にアドバイスするにも大変です。あの異常な誇り高さに注意せねばならぬ事しばしば。
全員ではありませんが、聞く耳持たない人が多々見受けられます。
むろん、私もそういう人にはいちいちアドバイスするほど酔狂ではありませんが。
ドイツの町で何度もユダヤ人を見ました。
言っては何ですが、今をときめくC国の皆様といい勝負になるぐらい、独善的だった気がします。
一番酷かったのはおつりをもらうとき。
店員がお金を受け取って、レジスターで計算しておつりを取り出し、数え直してから返すまで、ずっと憮然として手を突き出したまま立っていました。ちなみに彼は袋に入れた商品をひったくるように受け取っていました。見ていて気分が悪くなりました。
彼かららすれば、同胞を大虐殺した国の連中だから、いくら悪態をついても神様も世論も十分に許すと思っているのでしょうか。
ヒトラーがやったことは決して許されませんが、原因を作った方にも大いに問題があると私は思います。
ま、似たような問題は日本にもありますね。困ったものです。
聖書にあるように神に選ばれし民だとしたら、ちょっと全知全能の神様に言上仕りたい気分です。
私はいささかC国民のように問題があるから、神様を持ち出してきて自画自賛して慰めているように思えてきます。
そのうち自尊心が肥大化して、問題を激化させてきているように思います。
そんなに神様がたたえたのなら、何で今に至ってもイスラエルは平和ではないのか。
どうして周辺諸国と良好な関係が築けないのか。
日本も周辺諸国とは決して友好的ではないですが、少なくとも戦争はしていませんし、それらの国々の人たちですら日本人の国民性を高く買っているという訳の分からん現象があります。
根っから全て否定して嫌っているわけではありません。
どうしてもユダヤ人というのは見ていていつも孤独です。
ユダヤ人として生きている人たちだけなのでしょうけど。
私はビジネス書籍に出てくるユダヤ人ビジネスとかのようにモノが豊かであるよりも、心を豊かにすべく努力したいといつも思っています。
SD110527 碧洲齋