不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

「通りすがり」さん について思ったこと

昨日、スキーから帰ってきてからネットを見ていたのですが、友人のブログ(国際系?)にサラサラっとコメントしました。今をときめく某国の海軍力に関することだったのですが、私がミリタリーに詳しかったのは結構前でしたし、特にここ最近は極力そういうものは見ないように努めていたこともあって、かなり詳しくないつもりでしたが、やはり先ほど確認したら全然違ったらしく、苦笑い。

よくいる「通りすがり」さんに散々突っ込まれてしまいました。政治経済軍事に関してはあまり適当なことは書くべきではないですね。反省。

私はあまりしないのですが、ブログなどを読んでいると、「通りすがり」さんがいろいろなことを書き残してくれます。ポジティブな内容もあるのですが、ネットの「通りすがり」というだけあって言葉の書き捨てのような場合が多いように思います。今回は私の方が断然悪いのですから仕方ないのですが、第三者的に見て他人のブログに書き捨てられた「通りがかり」さんのコメントには時々ウンザリさせられることが多々あります。見えない故に傍若無人だろうが、横暴だろうが、基本的に身元がばれることはありませんので、書く側はおよそ書きたい放題の様相です。

日本人の場合、特に「本音」と「建前」がうまく使い分けられている文化も相成って、ネットではほとんど無制限にコメントされます。また、SNS、例えばmixiでも本名を使わなくてもOKである一方、フェイスブックでは本名が義務づけられています。日本では戦後、義務と権利のなんたるかをあまり教えてきていなかったためでしょうか。責任を持った発言というのがいささかおろそかにされている嫌いがあります。(だから曖昧な言い方をする人が多い、とも言えます)フェイスブックなどではおいそれと下手なことは言えませんね。私などもフェイスブックにおいてはリアル友の方がずっと多いので、発言にはくれぐれも慎重になっています。こういう時は言葉に重みを感じます。(特に英語で発言する場合などはより一層!)

もし日本人が今後、フェイスブックに参加するなら、発言における義務と責任について今一度考え直すよい機会になると共に、意味の薄い炎上とか、不快にさせる発言などは減るかもしれません。もっともネットを通してではなく、実際に人と対面した場合でもそのようでありたいと思います。

SD110228 碧洲齋