不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

仏に逢いました

この週末、家族で奥日光湯元温泉にスキーをするために行ってきました。

土曜日の早朝、始発電車に乗るために4時半頃に家を出ました。まだ外は真っ暗です。

妻は支度に手間取っていたので私と息子2人で家を出ました。

空を見上げた息子は「あっ!北斗七星だ!」と叫びました。

北斗七星は死を司る星らしいですが、うちでは例に漏れず「スーパーヒーローの星」となっております。

まあ、それがくっきり見えたから、何かいいことでもあるのだろうと二人で共感しました。

駅に着きました。

改札口前で妻を待つことにしたのですが、なかなか来ません。

ただひたすら、2人で待ちました。

・・・と、そこに年配の老紳士が自転車を引いてやってきました。

「いや~間に合った。良かった良かった」

と言うなり、コンビニ袋からなにやら取り出して・・・

「寒いと思ったから買って来ちゃったよ、お父さんとボクにはホットドッグ、飲み物は・・・ボクにはミルクティー、お父さんにはお茶。熱いうちにどうぞ」

私「いや~すみませんね。恐縮です。本当に頂いちゃっていいんですか?」

老紳士「こんな寒いところで待っているのは大変だよ、だからついそこのコンビニで買って来ちゃったんだよ」

私「恐れ入ります、失礼ですがどちら様でしょうか・・・」

老紳士「いいんだよ名前なんて、こういうことをしたい人だっているってことを覚えてもらいたいんだよ。See you! (なぜか) Good job!」

息子は黙ってこのやりとりを見つめていました。学校では知らない人からものをもらってはいけないと教えられているからです。

実はこの老紳士、駅の入り口に入る前に丁度、居酒屋の「庄や」から出てきたのを見ました。身なりはなかなか良かったように思います。で、会話の際も酔っていたのかいないのか、定かではありませんでした。酒臭くもありませんでした。足取りも普通。英語が結構達者だったように感じました。学校かなにかで英語を教えていたとか、そんな感じでした。多分、彼は親子2人で大きな荷物を持ってテクテク歩いていたのを認めたのでしょう。確かに目立ってはいましたから。それですぐにコンビニに立ち寄ってそれらもものを買って、わざわざ改札口前までやってきたと言うことです。

「パパ・・・あの人知っているの?」

「いいや、知らない人だよ」

「知らない人からもらっちゃいけないんだよ」

「知らない人からもらっちゃいけないけど、仏様からの頂きものは必ずありがたく頂かないといけない」

「あの人は仏様なの?」

「仏様は必要な時に必要な姿に変わる。人だったり動物だったり自然だったり。お金になることも言葉になることもある。」

「でも仏様かどうか分からないじゃん」

「ホラ、いい匂いがするだろう。今、仏様はこのいい匂いになったんだ」

息子が納得したかどうか分かりませんが、ホットドッグもミルクティーもありがたくきれいに平らげました。

「今、仏様はお前のお腹に収まった。」

「でも仏様はオレの中にもともといるんだよね?」

私は息子の頭をなでました。やはり息子はよく分かっているようです。

人を疑ってかかるような教育は私は認めません。

笑って頂いて結構ですが、私は基本性善説です。

今の学校の教えは基本、子供を守るよりは学校に責任がかからないように教えている部分があります(全部ではありませんが)。日本の未来を切り拓くための人材育成というのは単なる副次効果の産物のように感じています。息子の教科書を読んでいて思います。勉強大好き、運動大好き、優しい子、強い子、賢い子。指向性のない恐るべきヨイコチャン集団が群生しているのです。私はいつも、それを恐れます。学校の道徳教育に関しては基本完全に疑っています。

私は息子には日本人として誇りを持ち、日本人として世界に何が貢献できるか、いつも教えています。順序が逆だと思う親御さんもいるかも知れませんし、それが間違いだとは思いません。それもありです。ただ我が家ではやはり日本人ありきなのです。

話が逸れました。

知らない人からものをもらっていいのか悪いのか。

これは単純に二択問題ではないのです。

どうしても二択にするなら、善意を受けるか受けないかです。

私も一応武芸者の端くれです。怪しいヤツは通りすがりでも分かります。

しかしあのような場面で、「知らない人からは頂くわけには参りません」とかなんとか、たとえ丁寧に断ったとしても、息子に対するものの考え方に非常に大きなマイナスになると判断しました。人の善意をむげにする行為はきっと、息子の心に深く残ると判断しました。いや、そう思うよりも自分の心のままに行動したと思います。要するに仏の存在、仏のありよう、仏のはたらきを示したかったのです。

私の場合は禅宗仏教に深く帰依しています。だから私が親としてそのあり方を示しています。祖父の死、他人の死、ずっと昔の祖父母たちや父母の誕生、生きること死ぬこと、森羅万象について一番理にかなったことを禅宗仏教は教えています。別に息子にもそれをしろとはいいませんが、それが父としての私の生き様です。父の生き様の中から何かを得てくれたら幸いです。

今回の旅で一番印象深かったことが一番最初に起きました。

SD110227 碧洲齋