不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

sorryという言葉について

ご存じの方も多いと思いますが、海外では安易に非を認め、謝罪の言葉を口にしてはならないと言われています。

この辺りを強調されているのはどうやら日本だけのようですが、ともあれ日本語の「すみません」的な用法で「sorry」を使うべからずということです。

簡単なところから言えば「sorry」と「excuse me」をうまく使い分ければいいのですが、私は「海外では安易に非を認め、謝罪の言葉を口にしてはならないと言われています。」という点については明確に反対した立場を取っています。

私は日常、会社ではメールにて頻繁に海外の顧客とやりとりをします。プライベートでも外国の友人とメールはもちろんのこと、会話もします。

そのとき気をつけるのは「sorry」を使わなさすぎること。少しでもこちらに非があったら素直に謝ります。

驚きましたか?たぶん私は世に言われるような意味では結構国際的な方だと思いますが、「安易に謝罪の言葉を口にしてはならない」などという発想が実はかなり大嫌いです。

卑屈と謙譲、臆病と慎み深さ、ごますりと礼儀正しさは違います。

私は世界で認められている日本の美徳の正道を歩いていきたいだけです。

謝ったところにつけ込んでくるような輩は所詮その程度です。私の経験ではそういう連中にはまともなのはいません。そしてそれに恥じないような人とは接しませんし、恥じつつ使っている人には日本人の美徳を目の前で見せます。それによって相手を感化するよう努力します。

世界が相手でも世界の基準に合わせる必要はないこともあります。この美徳に限って言えば私は譲歩しません。日本固有のものですが、間違いなく世界を平和に持って行くにふさわしい方法だと信じているからです。

逆説的ですが、そういった日本人の美徳、外国人たちが感銘を受けている日本人の徳性を徹底した上で、日本と関係を持たざるを得ない数少ない不良国家には覚悟を持った姿勢で対するべきだと思っています。そうすることによって、外国人の手法で勝利を手にするのではなく、日本人のやり方で和をもたらせたいところです。欧米人と同じコンセンサスを維持して対話に臨んでも短期的にはよいとしても、長い目で見たらあまりよいようには思えません。

また個人レベルでもいつでもどこでもsorryを使えと行っているわけではもちろんなく、使うべきところにはひるむことなく使いなさいと言うことです。相手に悪意があっても、少しでも心ある人ならばその人の心に小さな棘のように突き刺さることでしょう。(絶対に謝ってはいけないケースもまた、よくよく吟味すべし、ですが)その棘に痛みを覚え続ける限り、その人には日本人のやり方を忘れません。

そんなわけで私は日本の文化と日本人の美徳を信じて、日本人のやり方を国際交流で通しています。

国際通ぶるのも結構ですが、日本人として世界にどう影響させるか、という視点で国際交流をする人を増やし、「和の心」をもっと世界に広め、世界をよりよき方向に向かせていきたいところですね。

SD110218 碧洲齋