不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

和製ジェット機のこと

先日息子と上野の国立科学博物館に行ってきました。 空と宇宙展を見るためです。 私も息子も宇宙とかが大好きなので、息子も非常に喜んで見物していました。 私のお目当ては日本最古のジェットエンジン。 製造されたのは65年前。終戦の年に試作製造された「ネ20」ターボジェットエンジンでした。このエンジンは日本で最初のジェット機橘花(改)」に搭載されていたもので、ほぼ日本独自の設計になるもので、しかも1年という非常に短期間で作られました。ドイツから幾つかジェット機に関する技術供与はあったのですが、潜水艦でドイツから持ち帰った資料には肝心要のジェットエンジンがなく、戦局も逼迫していたため独自に作り始めたのです。哀しいかな、戦局はかなり悪化しており、B-29からの爆撃を避けるために、この次世代最新兵器は中島飛行機本社近くの農家の納屋などで組み立てられました。出来上がった機体は千葉県木更津基地に運ばれて昭和20年8月7日に初飛行をしました。その時の記録は低空を12分間ほど。燃料は松根油が含まれた低質の燃料です。(ジェット機は灯油のような油でも飛ばせます)日本の最先端技術はさんざんな環境下で成功を収めたものの、そのたった8日後、日本は終戦となりました。 ネ-20 ターボジェットエンジン 左は吸気口、右は排気口
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もちろん今までの技術的な下地はあったにせよ、東洋の小国にあって、欧米に匹敵する技術力がすでに戦前からあったことがうかがい知れます。私は以前『ジェットエンジンに取り憑かれた男』(講談社)という本を読んでから、和製ジェット機に非常に興味を持ちました。製造は当時の中島飛行機、現在の富士重工に当たります。今でも富士重工の年末に配られるカレンダーは昔懐かしの飛行機が載っています。マニアックな話ですみませんが、戦後、富士重工の本社にはかの超有名なドイツ人カリスマ航空機技師、クルト・タンク氏も来たことがあります。 見ての通り、サイズは小型ではありますが、現在のジェットエンジンとほぼ同じ形です。あちこち古びているところに時代を感じさせます。コンピューターもない時代によくこんなものが作れたと感心します。
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高性能なものはいきなりぽろりとは出てこないんですね。やはり国民全体の素養や教育レベルが高くないと、高度なものは作れません。逆に独裁国家というのはなけなしの人材や予算を国家の威信のためにつぎ込むのですから、民衆の貧しさと目を見張る最新兵器、最新設備という組み合わせはまず大体が独裁国家、ないしそれに準じる国家です。多少例外を言えば明治時代の日本などはまさに上記に当てはまりますが、当時の日本人の教育レベルは欧米と比べて高くあっても低くはありませんでした。民衆がロシアの脅威を理解していたのだと思います。そういう意味では当時の日本人の方が今よりもずっと地政学のなんたるかを理解していたとも取れます(笑)。 そういえばホンダが小型ジェット機を作りました。エンジンはGEと共同開発、生産は米国ですが、限りなくほとんど日本人謹製です。この辺り、本田宗一郎氏の熱き魂がホンダに息づいているのを感じさせます。もっともっと日本人が大空や大宇宙に羽ばたいていって欲しいですね。 SD110106 碧洲齋