不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

阪神・淡路大震災のこと

まずはこの災害で亡くなった6000人以上の犠牲者の方にご冥福をお祈り申し上げます。

1995年は私にとっても非常に印象深い年でした。

まずは年明け、戦後50年という年になりました。半世紀です。戦争がグンと遠くなった気がしたものです。

そして大地震

私は地震発生から1-2週間分の新聞を今でも保存しています。

(ちなみに先帝陛下崩御の新聞と私が生まれた年に成功したアポロ11号月面着陸の新聞も大切に保管しています)

今日は久しぶりに読み返してみようと思います。

戦争では6000人ぐらいの死者は別段目を見張るほどの犠牲ではありませんが、1945年以降、戦争が起きなかった日本では自然災害が最大の脅威であり、この大地震は戦後最大規模のものでした。

人間の醜い部分、美しい部分、思いも因らなかった部分、至らなかった部分、色々噴出しました。

たとえば海外で印象深かったのが、そんなときでも日本人は暴動も起こさずに粛々と事態に対処していた、と言われました。

暴力団が一丸となって被災市民を助け、若いヤクザの皆様が市民から感謝され、戸惑いながら感涙にむせていたのも覚えています。

近代都市的な壮麗な建造物がいともたやすく破壊されました。

痛かったのはそのときの政権が偶然にも自民党政権下ではなく、行政に慣れていなかった事も上げられるでしょうか。

その後、熱に浮かされたかのように防災グッズがあちこちで売られ、皆競って買いあさったものの、それも夏を過ぎた頃には終わった感がありました。

日本人はもしかしたら生に対する執着が少ないのかもしれません。

私などは高校生の時分から災害に備えてサバイバルキットから2週間程度の備蓄に至るまでありとあらゆるものを、いつも備えていたのですが、日本人はいわゆる「水に流す」ことで過去や生に執着せず、さらりと生きてきているのかなと思っています。

周囲の2.3の国々を見ていると本当に苦しいです。祖父母ですらうろ覚えの過去を掘り起こし、糾し出し、批評し、磨き直し(過剰装飾や虚飾、偽装もでしょうか・笑)、それで国を盛り立てようとしています。今まで知り合ったこれらの国の人々でもうんざりしていやになるほどだと言っていた人もいました。

多分日本が世界的に優れた民族だと言われる所以は、長い歴史を持つ割には執着に薄い辺りなのかもしれません。

この年の夏、私は初めて海外で働きました。豪州メルボルン日本語学校でした。

実はこの前年末に師範相当の段位を過分にも拝受しました。

留学時は(控えめに!)機会をうかがってはいろいろなところでいろいろな体験をさせていただいたものですが(笑)、さすがにこのときになるとそういう若気の至りを起こす気にはなれませんでした。

実際に道場を開いたのはその8年後、結婚して息子が生まれたときでした。

豪州のホストファミリーとは今でも交流があり、当時10歳だった長女は今や26歳のレディーになっています。本当に月日が流れるのは早いものです。

自然の成り行きなのか人間のせいなのかはいまだ不明な部分が多分にあるにしても、これから自然災害はもっと増える様相を呈しています。災害に十分に備えることはもちろんですが、災害時の行動そのものが日本人のバロメーターとなることを肝に銘じていきたいものです。

SD110117 犠牲者に祈りを込めて 碧洲齋