不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

タイガーマスク運動

「ペイフォワード」という、米国の小説があります。2000年には映画にもなり(「ペイ・フォワード 可能の王国」)、主演はハーレイ・ジョエル・オスメント君が務めました。

この「ペイフォワード」とは「払い戻し(ペイバック)」の逆で、何か誰かから親切をされたら、それを違う3人に親切をすると言う運動です。

これはこの映画の後にこの運動をする為の財団も出来ました。

http://www.payitforwardfoundation.org/

これは一見幼稚なようでなかなか奥深い運動です。

今、日本は「タイガーマスク運動」なるものが盛んです。

でも日本昔話には「恩返し」の話がいったいどのくらいあるでしょうか?

諸外国でももちろんそうですが、日本では特に「恩」に対しては特別視しています。

字の如く「心に因む」現象です。さすれば人は「性善説」に因るのでしょうか。

タイガーマスク運動」のいいところは知られずにそれをしたがるところでしょうか。日本人ならではの行いのような気がします。

誰かに知られず恩を返すことが気持ちよいと考える人が日本人には(意外にも)多いようです。

そういう慎ましさがある限り、日本人はまだ安泰かもしれません。

もう時効なのでこれに関連する自分の失敗を書き綴りたいと思います。

26.7歳ぐらいのときだったと思います。名古屋の日本語学校に勤務していたときのことです。

住んでいたアパートのすぐ近くには紙などを回収する工場があり、リヤカーを引いた路上生活者たちが周囲に何人もいました。

おおむね毎日彼らを観察していたのですが、それはもう大変なものです。初老なのに重い荷物を引いて、町じゅうを歩き回るのです。代価がいったいいくらになるのか分かりませんが、食べるのがやっとといった感じだと思います。

冬、あまりにも寒そうだったので、工場の入り口付近にいた初老の路上生活者の人に缶コーヒーをあげました。その方はにこやかに明るい声で「いや~助かった、ありがとうね。」と私に言いました。私はちょっと微笑んで帰宅しましたが、アパートに入ってから急に涙が出て止まりませんでした。

彼に缶コーヒーをあげるとき、自分はいったい何を期待していたのか。路上生活者が涙ながらに深く何度も頭を下げ、哀れっぽく礼を述べることだったのでしょうか。路上生活者は意外に明るく、私の差し入れにも普通に感謝していました。

私はそのとき、自分の心の卑しさ、貧しさに気づいたのだと思います。本当に恥ずかしい気持ちで一杯だったのを覚えています。帝王が貧民に施すような優越感を味わおうと思っていた自分の愚かさをめい一杯恥じました。今でも強烈すぎるほどの記憶として残っています。

翌日から退社後、時々コンビニで食べ物を少し多めに買ったときなどは、分からないようにリヤカーの荷台の上にそっと置くようにしました。何度かそれを路上生活者の皆さんが工場の入り口でおいしそうに食べているのを見かけました。心が温まるのを感じました。ま、若い時、英雄とか帝王とかに憧れ過ぎるとろくな事にはなりませんね。

この時期はいろいろあって(ホントに色々です・笑)、人間的に少し成長したような時期だったと記憶しています。

タイガーマスク運動」をみて、ふとそんな昔の事を思い出した次第です。

SD110115 碧洲斎