不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

HIGH はい

本物の武芸者というのは、どれだけ自分をさらけ出さずに相手を知るかと言うことは肝要かと思っています。卑怯かどうかという視点は侍、武士たちの視点であって、全ての武芸者の視点ではないと考えています。侍イコール武芸者ではありません。正々堂々はなるべく守りたいところですが、そういうことに囚われること自体既に居着いており、負けます。負けたら全部終わり、勝てば全部でないにしろ可能性は残ります。ま、現実には死んで義を全うできた方が勝ちという場合もあるので、必ずしも生き残るという意味ではありませんが。それと逆に変に隠すとそれはそれで失礼でもあります。他流の武友が敬遠しますね。自然に見せて気づかない、そんなレベルになりたいところです。これは師が良く言っていますが、秘伝奥義を後生大事に懐に収めているうちはまだまだなのだそうです。よく分かりません。

他流や門下の他道場に比べて私が師事する道場は比較的世界中から毎回、色々な外国人がやってきます。うまい人/下手な人、力業/使い手、人徳者/愚か者、様々です。多分、国や地域人種職業という点では一般の武芸道場に比べると非常に幅広いと思います。個人的には不快な思いをしたくないのと怪我をしたくないために可能な限り早い段階で見極めます。ケースバイケースですが道場に入ってきて手合わせをするために互いに礼をするまでに相手の力量の少なくとも7割方、分かることが多いです。稽古場に入ってきてから互いに礼をするまでの一挙一動を見ていればそんなに難しいことではありません。今ではほとんど無意識にそれができます。互いに組んでみて初めて力量が分かるなんて言うのは、実戦では自分の首が飛んでから気づくようなものです。私は汗水流して稽古をする以上に重要なことのように思います。故に相手の技を見て批評するレベルはまだまだ、もっとピンポイント、何気ない所作で力量が分かるようになったら大したものです。

ささ、小難しい話はここまでにしましょう。正直私はこの手の話は好きではありません。

昨日のブログにも書きましたが、昨日私は「たそがれ清兵衛」を見ました。

以前に見たときも思っていたいのですが、1人だけ「こいつはデキる!」と直感した出演者がいました。それは清兵衛の長女役をしていた伊藤未希さん(出演当時12歳)。どこでそう思ったのかというと、清兵衛が長女萱野(かやの)を呼んだときに「はい」とこたえたときの声色が冴え渡っていました。非常にシンプルこの上ないセリフでしたが、「こいつはできる」と直感しました。声が何というか腹から出ているんです。その他の台詞もみな、静かで子供らしくはあるけれども、響き方がシンの通った本物でした。演技も良かったと思います。で、先ほど調べてみたら、伊藤未希さんは10歳の時にかの有名なミュージカル「アニー」に出ていたんですね。主要なメンバーではなかったようですが。それでも毎年やっているアニーのオーディションから厳しいレッスン、初舞台までのドキュメンタリーを見るに、かなり高度なボイストレーニングをこなしてきたのは分かりました。(妻が毎年このドキュメンタリーを好んで見るのでよく知っていました)それなら納得です。清兵衛の娘役2人は本当に脇役でしたが私にはなかなか優れた子役のように思いました。今、画像で検索すると出てきますが、今は女子大生ですね。なかなかかわいらしいお嬢さんになっています。今後の活躍を期待したいところです。

さっき「隠し剣 鬼の爪」を見ました。やっぱり何度見ても最後が泣けるぜ。山田洋次監督がメガホンを取ると「必殺 仕事人」にならないところがいいです。

SD101221 大晦日 不動庵 碧洲齋