不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

仏教のこと

江戸時代ぐらいまでは寺というのは町や集落の中心的な役割を果たしてきました。冠婚葬祭、身分証明発行(関所などで必要とされる証明書など)、季節ごとの祭りやちょっとした仲裁など。江戸時代は神仏混合が普通だったので、仏教の僧侶が隣の神社の神主も兼任していたりしました。だから今でもお寺の隣に神社が建っているところがありますが、これは明治時代に分け隔てられたものです。従ってお祭りなどがあれば神社ひいては神社を管理している僧侶も係わっていました。よく知られるものとしては寺子屋。寺は学校でもありました。日本では江戸時代後期の田舎でも3.4割の人が読み書き算盤ができたと言われています。ちなみに明治時代のロンドンの識字率は3割ぐらいだったそうです。これはある意味恐るべき日本の教育レベルと言えるかも知れません。

明治時代以降、仏教の寺院は主に死者を送り出す祭事しか行わなくなりました。もともと「ハレ」と「ケ」という思想があったためか、別段一般庶民には大きなトラブルはなかったように思います。おめでたいことは神社へ、不幸があるときは寺院へというライフスタイルがかれこれ1世紀半も続いてきました。

仏教界でも色々と変貌を遂げてきました。

まず肉食妻帯が認められるようになりました。

肉食は滋養があるために、実は江戸時代でも場合によっては一般の人や僧侶でも口にしていたと言われています。

「ぼたん」とか「さくら」というとそれぞれ「猪肉」と「馬肉」を指すことがありますが、あれは江戸時代の人の隠語でした。ちなみに「般若湯」というのは「お酒」です。これも僧侶が使った隠語でした。

寺は普通、住職が死ぬか修行のために寺を明ける場合は所属する宗派、地域をまとめている大きな寺に願い出て、代わりの住職を呼んでもらいました。しかし妻帯すると子供ができます。そして子供がその寺を継ぐようになります。本来寺は個人所有であってはならないはずです。また、僧侶は「自分の寺」を経営していかねばならなくなりますから、必然的に修行もしなくなります。こうして檀家数頼みのサラリーマン僧侶が増えていきました。宗派によっては本物のサラリーマン兼業も可能です。

先日の坐禅会では珍しく老師がこれからの仏教のあり方について話をされたので、ちょっと書いてみたいと思います。

人々の信心が薄れていったこと、僧侶たちの怠慢によるもの、時代の流れによるもの、どれにも原因を求めることができますが、基督教を参考にすれば、僧侶たちが時代の流れについて行っていない、時代に合わせた教えを広めていないように思います。

老師曰く、民衆は未だに仏教に対して信仰心はあるものの、僧侶に信を置いていないと感じるとのことでした。確かに高級ベンツに乗ってきれいな法衣を着て寄付を募られたのではたまったものではありません。大きなお寺のほとんどの住職が結構贅沢をしていると言うことは外から見てもよく分かります。修行が厳しい禅宗ですら、修行を終えて(修行は基本的に終わりはないと解釈していますが)実家の寺に戻ると、大半の禅僧はもう寺の経営、言ってしまえば金儲けに熱心になってしまうことが多いようです。もちろんわずかですが真剣に修行を続けている住職もいらっしゃいます。短い期間の厳しい修行ですら耐えられずにやめてしまうこともあるようです。故に禅寺は空寺、廃寺が他宗派に比べると非常に多いのだそうです。

ちなみに私が行く禅寺3つの内、二つは檀家のない寺です。収入源は非常に限られており、とても財政豊かとは言えません。金に関する忌憚のない意見はつまり本物です。

都内で行われる葬儀の約二割は「直葬」と呼ばれる葬儀だそうです。「直葬」は業界用語なので初めて聞きましたが、つまり例えば病院などで亡くなると霊柩車などに来てもらい、ご遺体を乗せるとそのまま火葬場に直行、荼毘に付されてしまうらしいのです。老師はこの事実に驚きを隠せないようでした。曰く「共産圏ですら、何らかの宗教儀礼があって後に葬られるのに、仏教や神道など、宗教が自由に選べる日本ではこのようなことが普通に行われていることに震撼させられる」。

今の仏教が今生きる人たちの心に届いていないのは事実だが、この仏の教えを禅宗としてどのように伝えていくのか、今後はどのような形で「布教」をしていくのか、仏教を伝道している人たちの双肩に掛かっていると言うことでした。特に老師は今でも修行を怠らない本物の禅僧ですが、それだけに布教に関する考え方も普通の町寺の住職とはかけ離れています。

私の場合禅ですが、坐禅に来る内に病んだ心が治っていく人をよく見ます。こういう時は本当に嬉しくなります。禅を通じて多くの人が救われたらと思います。

画像

先日息子と立ち寄った、私が通っていた幼稚園の隣にある真言宗の寺。

よく考えたら私は三歳から仏様に手を合わせていました。

SD101012 碧洲齋