不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

利休道歌 七

点前には強みばかりを思ふなよ 強きは弱く軽く重かれ 何にても道具扱うたびごとに 取る手は軽く置く奥手重かれ 私は茶道については全くの門外漢なのですが、強弱あるべからずということがこの百首の冒頭に何度も出てくるところを見ると、この所作は非常に大事なのだろうと推察します。大体似たような意味合いでしたので、今回は併記しました。 軽いものを軽々と持つと間違いが起こる。だから軽いものでも重々しく持つ事で物を大切に取り扱い、重いものを軽々しく持つ事によって見た目に無骨さを感じさせないと言う事のようです。置いたり持ち上げたりするときも同様に、軽い物でも重々しく、重いものでも軽々しくすれば、見た目にもよいし、間違いが起こらない。 重いものを軽々と持つ事は男であれば割によくやりますが、その逆は盲点でした。しかしよく考えればどちらも重要な気がしてきます。日常の生活用品、食材や消耗品に至るまでこのように取り扱えるようになれば、もっと物に対する視点が変わり、敬意が持てるかも知れません。 例えば武芸で言うなら武器の重量に軽重はあっても帯びる任務(命を奪う、ということですが)に軽重はありません。危険な道具には違いありませんから慎重に扱いたいところです。 また、軽重にかかわらず、一定の動きを保てたら敵は目の錯覚を起こします。敵は相手の持っている武器の軽重が推測しにくいので、少し怖いかも知れません。相手にいかなる情報を与えない、これは基本中の基本ですね。自然の動きが徹底すれば敵は注意を向ける事も難しいかも知れません。これは私も心がけている事です。奇抜な構え、妙な武器、目立つクセは敵を楽にさせてしまいます。故に達人はいつも最小限の動きで最大限の効果を狙います。 お茶の世界の何と奥深い事かと、最初の数首で感じました。
画像
SD100824 碧洲齋