不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

終戦の日に寄せて

毎年この日にいつも想う事があります。

日本はこの日に戦時下、犠牲になった人を弔います。

海外では9月2日、降伏文書に署名をした日が有名です。そしてたぶんこちらの方が公式です。

(当たり前と言えば当たり前ですが)

8月15日は先帝陛下が国民に対して「ポツダム宣言を受諾した」旨を宣言された日です。

簡単に言うと、相手が戦闘継続をしようがしまいが、日本は天皇陛下の大命によってポツダム宣言を受諾したので、一切の戦闘を停止して、連合国の条件を受諾すると宣言された日です。

海外では署名をした日が「その日」ですが、日本では国家の象徴たる天皇陛下の意志をお示しになった8月15日の方が遙かに重要なのです。民族自決の側面が強いですね。

だから8月15日は「終戦日」、9月2日は「敗戦日」になります。

サインした日は全く、もしくはほとんど重要でないという辺り、国民の皆様はよくよく考えて頂きたいと想います。

日本は戦後、いわゆる「戦死」が発生していません。実際はソ連軍の不法侵攻があったので、9月頃まで戦闘があったところもありますが、それでも約65年も戦死者が出ていないというのはある意味すごい事です。私は留学中に湾岸戦争の戦死者の葬列を見ました。かなりショックでした。また、別の国では親が戦争で死んだという家族とも知り合いました。戦死者を数十年出さないことですら困難なのに、日本では65年の長きに亘って、戦争がありませんでした。

米国の軍事力の傘下にあるから、と言われるかも知れません。もちろんそうです。

しかし戦勝した国、しかも無差別な絨毯爆撃を執拗に行い、半ば実験のように原子爆弾を2発も投下した米国とずっと親交を深めてきたのです。私の祖父はサイパンに増援中、米軍機によって輸送船ごと撃沈されました。母は米軍の艦上戦闘機から笑いながら機銃掃射を受け、九死に一生を得ました。それでも母や祖母はアメリカと友となり、戦争でなくなった方々の理想であった、戦争のない平和な国を目指すべきだと言っていました。今、私は世界各国に友人がいます。祖母や母の意志を踏襲し、日本人の「和」の何たるかを世界に知らしめたいと思っています。戦争を憎みつつ、敵を憎まないということが本当にできるという証がこの国にあります。なかなか戦争を終えられない国の方々はぜひ参考にしてほしいと思います。

未だ日本を悪く言う国もあります。数は五指にも足りませんが。そういう国はいくら科学が進んでいても、メンタリティの面では哀れむべきレベルと言わざるを得ません。私たちは今生きていて、そして未来にしか行けないのですから。自分たちが生まれてもいない昔をほじくり返しても、実りあるとは思えません。他国から蔑まされるだけです。利益を期待したり、程度の低い民族主義を打ち上げたりするために日本を非難するのであればなおさらです。

私は隣国とも遠国とも等しく友好を持ち、平和を広めていくべきだと思ってはいますが、天命はなかなかこれで苛烈なようです。平和はそう簡単にはやってくるはずもないですね。

SD100815 碧洲齋