不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

もそっと冷静に

朝から不快指数100%の天気ですが、事務所に入ってエアコンに当たると昨日のブログの拙さに赤面します。

(消すつもりもありませんが)

昨日、坐禅会の通り道にある染物屋さんに立ち寄りました。私はそこの社長さんの職人魂が好きで、何度かお話を聞かせてもらっています。

今の世の中は日本文化の根幹的な伝統芸能、伝統技能が壊滅的に破壊されてきていますが、この不況で立ち止まることができ、ある意味、良いこともあったとか。日本が求めるべきは経済繁栄などではなく、古来から伝わってきたものを後世に残し、それをよりよくしていくことなのだとか。

この社長さんの友人にかのS友商事の社長さんがいるそうです。

そのS友商事の社長さん曰く、日本には良い商材はないとのこと。なぜなら商社とはなるべく安い商材を求めて、それをなるべく高く買ってくれるところに持っていくためだとか。日本は高いものばかりなのでお話にならないのだとか。染物屋の社長さんはそれはそもそも観点が間違っていると反論したとのことです。

良い製品ありきなのです。耳障りのよいコトバありきではありません。良い製品は確かに黙っていても売れるのです。語り尽くし、しゃべり尽くしても、コトバは空虚なものです。現実に日本製品は世界でこれだけ売れています。某国人などは一番嫌いな民族に日本が挙げられていますが、一番学ぶべき民族にも日本が挙がっているぐらい、日本製品というのは不動のものなのです。品質という点で日本製にケチをつている人は見たことないですね。陰りが出ていますか?はい、それは多分に純日本製でない部分があったりするのでしょう。問題ない場合、素晴らしい場合はコトバはいらないと思います。素晴らしくないとか問題がなきにしもあらずの場合があるからコトバで隠蔽するのでしょう。

物作りでも然り、芸事でも然りです。コトバはプラスアルファのお飾りなのです。門内にも語るのがとても上手くて好きなカタラー外国人師範がいますが、得てしてそういう輩は大抵エセ武道家です。私はこの手の輩が昔から嫌いで、留学中は大学のイケメン・カタラー空手(テコンドーだったかな?)インストラクターを40-50人ぐらいの空手クラスの面前で叩きのめしたこともあります。(あの頃は若かったっす)。最近はさすがにそういうこともなく、口を利かない程度に抑えられるようになりました。とはいえ今でも社交辞令でも対面すると気分が悪くなります。(特にこの梅雨時だと相当イラつきます)私が上手いと思っている人の大半は語るのは上手くないようです。

・・・と、これは理想論なんですけどね。でもコトバは数量に比例して悪魔の囁き潜在率も高いと心得ておくべきですね。だから無言で何かを行う場合はまさにその人がそのまま現れていると思います。禅はその特性を利用して、使う言葉を極端に減らしているのだそうです。

SD100628 碧洲齋