不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

ニートのこと

ひきこもり:相談者の8割に精神疾患 厚労省まとめ http://mainichi.jp/select/today/news/20100520k0000m040059000c.html ひきこもり、ニートという言葉を聞くと、思い出す人がいます。15歳の時から30歳まで、15年も親交のあった友人Mです。中学3年生の後半、私はダニエルさんよろしく、図書館にあった空手の本を参考に「格闘技」なるものを独学で練習していました。高校に入った時、格闘技に詳しかったMと気が合い、以後、公園などでよく切磋琢磨しました。そしてそれが高じて今の流派の門を1年生の終わりに叩いたのでした。ブルース・リージャッキー・チェンジェット・リーの映画をよく観たのもこの時期でした。歴史上の英雄たちの話しも良くしました。 このM、この時から既にやはり普通ではない部分が少しありました。まず、プライドが異常に高い。自慢にもなりませんが、私も当時はかなりプライドが高かったにもかかわらず、その私が見てもちょっと異常なものがあったような気がします。私以外は同列の人間と見なさない傾向がありました(これは時々困った)。そして異常に出不精でした。また時間にかなりルーズでした。そしてかなり偏った夜型で、夏などはクーラー病ぎみでした。身だしなみも無精過ぎた気がします。とはいえ彼は勉強は私と違ってクラスでは概ね10番以内でしたし、運動神経も普通以上、頭の切れもなかなかでした。話が非常に良く合ったので、そういう意味ではよい青春時代でした。 高校を出てから段々と別の道を歩き始めてきました。 私は高校1年生の終わりに流派の門を叩き、師事したのですが、結局Mはごく短期間、中国拳法を学んだ以外、どこにも入門しませんでした。端から見ていて、あれだけ格闘技が好きなのに、あの行動力のなさは一体何なのか、と疑問には思いました。 私は師に勧められ米国に留学しました。彼もやはり留学に憧れ、色々右往左往していましたが、ここでも行動力のなさは決定的でした。何かを自分で決定する、そして段取りをすることが全くできないのです。 私の20代は留学や豪州に赴任、地方都市赴任と、7割は故郷にいなかった計算になります。時々帰郷したときにMと会っていた程度です。会うたびに彼の身なりはひどくなっていったような気がします。また、その間、彼はうつ病椎間板ヘルニアにかかりました。更に彼は逆さまつげというのでしょうか、そのためにまぶたの手術も受けました。これも完治したのかどうか分かりません。うつ病の方は幸い重症でもなく、ほとんど治ったようでした。(再発したかどうかは分かりません)コンビニでバイトをしていたようです。 椎間板ヘルニアは結局コルセットまで作って何年も治癒していなさそうでした。色々試していたようですが、端から見ているとどうも根本治療のようには見えませんでした。何度も多少リスクがあっても治すべきだとは言い続けてはいましたが、なにぶん私は今まで健康なので、こういう人の心理はよく分かりません。 時々、気晴らしのためにどこかに行こうとか、何かをしようとか言うのですが、他人の用事で家から出ることは極めて少なく、私も気に病んでいました。彼は片親で母親しかいないのですが、高校時代から既に親とあまりコミュニケーションがなく、妹とも疎遠になっています。妹さんは私が留学から帰国してすぐに、家を出ました。思うように身体を動かせず、さりとて面倒を見てくれている母親と打ち解けず。なるべくMの心の支えになるべく、時間が許す限り彼の話し相手になり、さりげなく希にアドバイスをしたりしました。さすがに私のアドバイスだけは神妙に聞きましたが、残念ながらそれを実践した様子はありませんでした。気になったのは彼はいつも昔話が好きで、現在の状況を憎んでいたことです。現状を打破するという考えが欠落していた感じです。 結婚を決めたとき、Mとその母親に聞いて欲しいと思い、2人を同時に誘って食事でもしようと思っていましたが、それすらままならないほど、親子間で疎遠になっていました。呆れかえった私は結局、それ以後連絡を取りませんでした。 2.3年後、驚くべき話を聞きました。Mの母親は正社員として大きな会社に勤めていました。定年退職後、郵便局でアルバイトをしていたようなのですが、そこで年齢詐称をしていたようです。社会保険関係の書類処理時に発覚したそうです。たまたま郵便局に勤めていた、今でも懇意の高校時代の友人(もちろん彼もMをよく知っています)が教えてくれました。定年退職してもMのために年金生活ができないのだと思います。年齢詐称をしてまで働かねばならないのです。そしてMはそんなことまでしている母親に対して常に罵詈雑言を浴びせていました。 かれこれもう10年もMと会っていません。他の友人宅に数ヶ月に1度、夜な夜なひどい格好で来ることもあると聞きましたが、最近はそれもないようです。自分は病症者に対する接し方が良くなかったのか、友人としてまだまだ誠意が足りなかったのか、未だに答えが出ません。ニートという言葉が広まってきたのはその10年間だったと思います。Mに対しては本人の心持ちが悪いとも、私の無理解とも思う、今日この頃です。 補足:個人的には彼の母親の心を思うと、秘技を尽くした渾身の一撃を食らわせてやらないと気が済みません。もし道端で出合ったら、問答無用でそうするつもりでいます。友人を通じて私がそう思っていることはMに伝わっているそうです。 SD100520 碧洲齋